鬼術(キジュツ)つまり日記のページ
昔
1月になっても変わることも無く。
2月の短さは誰のせいだろうか?
さてさて拙者にしてみればここは別に駄目日記系サイトでも毒舌サイトでもなんでもないわけで。
いやいやそういう目でここを見ると言うことそれ自体は構わないわけだ。そこにある情報をどのように取り込むかは自分次第なわけだから、ここを駄目日記系サイトとして見ようが馬鹿日記系サイトとして見ようが毒舌サイトにとして見ようがそれはその人の自由で。
まあ実際の話拙者の行動が駄目日記として適当かどうかというのはともかくええいうるさい黙れ。そういうわけで駄目日記かどうかはともかく、拙者の言うことそのものは「毒舌」なのかどうかなーとか。
さて、ここで定義をしてみよう。
「毒舌とは何か?」
えーととりあえず辞書辞書。
えーと三省堂の新明解国語辞典第四版によれば
【毒舌】しんらつな皮肉や悪口(を言うこと)。
となっている。
はて、毒舌ってのはこれだけの定義なのか。
あー、まず近年の世の中、なんだか癒し系とか言う人がもてはやされている反面、毒舌家とか言われてもてはやされている人がいるわけで。
それはつまり毒舌というものが、世の中に「なんらかの神聖的な面も持ち合わせている行為」として受け取られているように感じるわけだ。理解できんが叱られるのを待っている人間が増えているというか、叱って欲しいという人間が増えているというか。
……でも、実際の話、「毒舌」ってーことそのものの定義は「辛辣な皮肉や悪口を言うかどうか」それだけなわけで、そこには「辛辣な皮肉や悪口かどうか」という事実しか無く、まあ手っ取り早く言っちゃうと「正しいかどうか」とか「理論や意志があるのかどうか」なんてーものは全然関係ないわけだ。
正しさとか意見とか理論とか、そういうものをまったく取り込まなくても、「毒舌」をすることはできる。
ただ、ものごとを「悪く」言えばいい。
ちょっと拙者の求めているものとは違うよなーと。
さて、ここを読んでいる人達が拙者のことをどう見ているかはともかく、やはり拙者にとっては「毒舌」をしているつもりは毛頭ないわけで。
悪いと思ったものを「悪い」という。
明確にそれを表明することは、「毒舌」だってー言えるのかなーと。
状況を見極めてきちんと言った結果が「辛辣」にはなっても。
「駆け引き的行為として意味を為さない皮肉」や「理論を持たない、根拠のない悪口」というのはやはり言いたくはない。
拙者がやってきたことは毒舌なのか?とか。
毒舌かどうかはともかく、これから先その言葉がどれだけ「真実」を語れるのかなーとか。
さてさて、こっからどうしようかね?
最終兵器彼女4(高橋しん)
一を聞いて十を知ると言うことは大切なんではないかなーとか。
いや、どちらかというと察しろとかそういうことではなくて。
人から聞いた「一」の話、使い方次第で一にもなるし十にもなる。
まあ十聞いて一理解するのは問題外だが、ただ十聞いて十理解するんではなくて、聞いたものを百とか千とかにまで膨らめるのが「活かす」ってーことではないかと思ったり。
まあそれはともかくとしてここは人々の心を癒すサイトであるということを強調するために今日はこんなものを紹介してみます。いや他人様のブツ紹介しただけですが。ともかくマウスで撫でろ。
ちなみに毎回毎回画像読み込みが始まってしまうと言う場合は画像を両方読み込み終えてからブラウザの「戻る」ボタンを一度押してまた「進む」とやると良い感じ。
そんなわけで準備ができたらそちらから通信を寄越すように(私信)
3月29日ブームも落ち着いたので芸風をパクってみる。 ところでドラゴンマガジンで大好評連載中の |
ていうかやはり難しいよ人の芸風は。
S・Fフェチ・スナッチャー2(西川魯介)
録画したビデオなんぞを観たり。
さてさて「アルジュナ」が最終回になったわけだが、最初の感想どおり「いやー、すごい映像と音楽だったなあ。それだけだが」という結果になったわけでどうしたもんかなーと。
お話としては多分「超能力で地球を浄化」とか「地球が汚れたのは人間のせいだ」とかそーゆーことを言いたかったんだろうがやはり一番の問題は「面白くない」ということなわけで。
拙者にとってナニが面白くないのかってーとそれはやはり「お話としての技巧がまるでない」のが面白くなかったんではないのかなーと分析してみる。
さてさてこれをちょいと考えてみると、拙者というのは別にご大層なテーマとかを求めているわけではないんだよなーとか思ったり。
単純に「面白い話」を観たいがために小説やら漫画やらを読んでいるわけで、面白いものを「どういうふうに作られているから面白い」とは言っても「どれそれをテーマにしているから面白い」などと言う気もなし。そんな感じ。
とまあ話を戻そう、アルジュナ。
だからこのお話、結局「お話」としては何にも見るモノがないお話だったんじゃないかと。
やったことと言えば「地球が病んだのは人間のせいで、ラージャってのはただの浄化作用でした。そんなわけで助かってめでたしめでたし」これだけ。
いや、正確には「これだけ」でも優れたお話はできると思うのだが問題はこれだけのお話を「そのまま技巧も凝らさずに見せた」点にあるわけで、とりあえずただ「あーなってこーなってそーこーしてたらそーなったのでこうなりました、終わり」だけ見せられてもお話は楽しめない。そーゆー事実をまざまざと見せつけてくれるありがたいアニメだったなあとかそんな感じで。
と、まあアルジュナもすごかったけどその後の「最遊記」もすごかったなあとかなんとか。
こちらは本気で凄いですよー。敵ボスがなんか勝手にわざとやられて話が終わっただけですよー。
……なめてますか?
いや……まああれはもとからかっこいいお兄さん方が動き回るのを観て楽しむ大きなお姉さんのためのグラビア活動絵本だと思えばカドも立ちませんねそういうことにしましょうよし決定吐血。
さて。
気を取り直して月曜にやってる「Dr.リンにきいてみて!」でも観てみましょうかほほーなんか風水とかを題材にした少女アニメのようですねー。
ここでちょいとおさらい。「風水ってのはそもそもなんなんでしょう?」
はい、ここで「風水というのは古代中国で……」とかナニも考えずに言い出した人はある意味アウトです。風水というものがなんなのかを説明するのに「歴史」なんて肩書きは要りません。風水ってのは要するに、当時の人が年月をかけて作った「技術」だと考えればいい。
えーとたとえば「部屋」を例にとって考えてみましょう。風水をかじった人とかはここで西方の運気がどーたらとか言い出しますがそういうのはなんのこたーない。それは要するに部屋全体に対する「要素」の配置を技術化しているだけなんですな。
たとえば玄関に変な壺があるために運気が乱れているとかどーたらというのも、単純に「そんなでけえ壺があると部屋のバランス悪いだろコラ」と考えればいい。つまりはバランス。部屋の置物とか家具の配置が悪ければ当然「良い環境」とは言えないし、悪い環境で生活してちゃーいい結果は出せない(わけじゃないが良い環境の方が良い結果を出せると考える)。
玄関に花を添えれば彩りが生まれるし、窓の近くを広げれば太陽が入って明るくなる。それだけのことなわけで。
風水は時の朝廷も用いたってー言うけれど、結局は「より住みやすい環境にする」ための技術であって、龍脈がどーたらいうのもそーゆー住みやすい環境理論を生命の理になぞらえて説明したにすぎないわけで「風水を使えば上手くいく」とかいうものではないわけです。
いやだってそうでなかったら風水用いて作った朝廷が潰れるわけがない。
「都の造りは住みやすかったけど為政者が阿呆だったので政治が上手くいかずに失敗しました」風水ってのは「すごい技術」なのかもしれんがあくまでその程度のモノだってー話。超能力やランダム要素を含んだ占いとは違う、立派な技術にして逆に言えばただの技術にすぎないわけで。
万能ではない。ここらへん、錬金術とかにもいえるよなー(錬金術は要するに哲学的側面からとらえた科学みたいなモンだとも言えるわけだし)
と、ゆーわけでDr.リンを観る。
リン(主人公)の祈りによって身体から龍の姿をしたエネルギー体が現れて沈没したバスを引き上げてくれました、風水の力ってスゴイね!
……超能力っ!?
さて全然落ち着いてませんが前回言った手前ワンピースのことについて語ることにしましょうかチョッパー。
あーちなみにちょっとどころではないですがちょっとだけ目が曇っているために本日は語尾を「チョッパー」にして会話することで冷静にお話させていただきますご了承くださいチョッパー。
さて今週のワンピースのタイトルは「RUSH!!」まあつまりはいわゆる「ガンガン行こうぜ」という意味でしょうかドキドキ新展開といったところチョッパー。
それではまず資料として今週起こった出来事を軽く並べてみることにしましょうお手元の資料をご覧くださいチョッパー(意訳:せめて毎週ワンピースぐらいは読んでおけ)
(回想というか前回のタネあかし)
1・鍵の替わりに変な玉出現。中からミスター3登場
2・鍵紛失。ドルドルの能力発動。
3・部屋崩壊。脱出。
(タネあかし終了)
4・現状把握。
5・スモーカー、見逃す。
6・ルヒー出発。スモーカー海軍招集。
7・チョッパー合流。
8・クロコダイル追いつく。次号へ。
はいはいこんな感じでしょうかチョッパー。
さてさて、ここでもういちど確認しておきましょうチョッパー。拙者がワンピースのどこを買っているかってーとそのひとつに「全体としてのお話作り」があるからなわけですなチョッパー。
ん、ナニを言いたいのかってーとつまりはワンピースの「伏線量」のことを言ってるのですよチョッパー。
えーと一応ここでは伏線の定義を「その週以外で後に繋がるための要素」としておきましょうチョッパー。たとえば「サンジがナミからボールを受け取り、それを蹴り飛ばすことで自体が好転」という場面があった場合、その週でナミがいきなりボールを渡すのではなく前週や前々週で「前もってサンジがボールを受け取っておく」描写があり、そのことが一度場面から忘れ去られた状態になったときにそのボールに関する要素を「伏線だった」と言うことにしますチョッパー。
で、ワンピースではこの伏線がむちゃくちゃに貼られているわけですなチョッパー。
「鍵を探す」という問題を「実は生きてたドルドル」で解決するための「クロコダイルがミスター3を処刑」であるし、「アルバーナへの足」を確保するための「マツゲ参加」「チョッパーの動物だいすき」、さらに「合流」のためのナノハナでやった「ハナが曲がりそうだ」&「ナミの香水」、今週だけで3つの「過去の要素による結果」があるわけですよチョッパー。
「ただ事件が起こってやっつけて、話が進んでいく」ではなく、「その時には関係のない行動」が、のちのちにまで響いてくる、それの繰り返しがワンピースのすごいところなわけですなチョッパー。
さてさて今週の結果、「海軍招集」によりバロックワークスという「多数」に対抗できる要素が生まれ、今回の「分断」でルヒー以外のルヒーチームVSクロコダイル&オールサンデー以外のオフィサーエージェントという図式(多分。先の展開まで断言はできないが)という要素が生まれてますますもって次にどう転ぶのかがわからん大混戦になってきたわけですよチョッパー。
ただ話を見せるのではなく、話が「組まれている」、これがやっぱりワンピースの面白いところなんじゃないかなーと思ってみたりチョッパー。
超獣伝説ゲシュタルト8(高河ゆん)
天からトルテ!11(近藤るるる)
りりむキッス!(挨拶)
今日は大学のガイダンスが午前9時からありました。
でも起きたのは12時です。
いつものことですね!
まあ寝てるわけにもいかないので資料をもらいに大学へ。
おや、先輩がいらっしゃる。こんにちわー。
「よう」
はー、しかし拙者もこれで4年生。先輩は拙者の一個上ですから……あれ?
「あれ?とか言うな」
先輩が先輩じゃなくなってしまいました。
さて今回もジャンプ。(ネタバレ有り)
あー、ヒカルの碁で人気投票やってるー。
……えーと。
なんで伊角さん(プロ試験で落ちた人)が1位なんでしょうか?
しかも2位が3860票なのに対して11366票。
ちなみに応募総数33334票。実に3分の1をイチ脇役が占める人気投票です。
しかも堂々と「組織票パワー炸裂!」などと書いてるあたり、集英社も良い根性してマスネ。
というか一番不憫なのは今週出てきてよくよく考えればこれほどヒロインに相応しい性格(主人公を慕ってついてくる、男に都合のいい女)にも関わらず全然目立たない上に脇役女性にまでランキングで負けてる藤崎あかりちゃんではないでしょうか、不憫な。
あんなに太股太いのに主人公を慕っているというのにっ!
それはそうとりりむキッスが終わってしまいそうで恐いですよ今週。
なんだか段々面白くなってきたというのにっ!
いやえーと、駄目なものを馬鹿笑いしながら見ていたらかえってどんどん面白くなってしまったというかなんというかあーそうそうつまりは快感フレーズ現象というやつですね。
今週のチョッパーについてはもうちょっと落ち着いてからにします(鼻血)
相撲、どーやら魁皇が優勝したみたいですなー。
しかしこの魁皇、まかり間違ってさきがけおうとでも読んでしまった日にはやはり
「よ、よっしゃー!次は儂の出番じゃー!」
「なにを抜かすか、貴様は今場所負け越しじゃろうがーっ!!」
「(ずいっ)ここは俺に任せてもらおうか!」
「げげー、た、貴乃花先輩ー!?」
「ハアッ!!」
「み、見ろ!バク転しながら闘技場(土俵)入りしておるーっ!?」
「フ、貴乃花先輩、さすがは横綱のひとり……」
「ああ、土俵は先輩にとって我が家も同然だからな……」
ちがうちがう。
つまりは烈・魁皇と読んで
「みんな貴方をお待ちしていますよ、魁皇さん」
「ラ・ヴィ〜♪」
幕内力士を凶器攻撃でタコ殴り。
ちがうちがう。
まーしかしあれですな、とうとう横綱が見えてきたってことでしょうか。
綱入りするとしたら、やっぱり新しい四股名はこれ?ちがうちがう。ちなみに本家
ネットを回ってるとやっぱりSSとか絵とかがたくさんたくさん散らばってるわけで。
そーゆーのを見てるとやはりたまーに叫びたくなるものであります。
見れたもんじゃね(削除)
や、本当にまんま言ったらただの酷い人だが、それでも今の風潮に疑問を覚えることはあるわけで。
さて、こーゆーネット上に多く見られる弊害ってーのはやはり「敷居」と「馴れ合い」ではなかろーかと。
「敷居」の高低ってのはまー簡単に言うと、「ネットは発言がしやすい」ってーことなわけで。
「いやそんなことはない。私は発言しにくいと思う」とかいう人がいるかもしれんが、んじゃーネットがなかったらどこで発表するのか?と考えてみましょう。
それこそ同人屋の仕事ですな。印刷して製版していや行程はよくしらんが部数を調整して毎回どこかのイベントで売り子として参加して、せいぜい「刷った部数」の人にしか発表できないわけで、これと比べたら遥かに発言・発表がしやすい。
でも。
それは「誰でも発表できる」ってのと同時に「悪い物も発表できる」ってーことでもあるわけで。
悪貨がはびこりやすく、また悪貨を出しても駆逐する手だてがない。
その場所で適当に出せば、どんなに悪くてもそこそこの評価はもらえるように思えて、しかも「自分の気に入らない意見は却下できる」。
……ってーかそれ以前に「馴れ合い」ってのが問題だよなーとか。
そーゆー「悪貨を簡単に垂れ流せる」環境ってのも問題だが、悪貨に対して言うに言えないというか言っちゃ駄目というか。
んーとたとえばとある人が頑張って絵を描いた。
その「頑張った」絵というものが「酷い出来」だとしたら、どうしようというか。
その作品がいかに「頑張って」書こうが駄目なモノは駄目なんだが、やはりそれを「駄目だそれ」っていうのには抵抗があるわけで。
うーむ、もっと声を大にして言いたいモノですな、それつまんね(削除)
もちろんどこがどうつまらんのか理論的に言えなきゃ意味がないんだけど。
風林火斬3(小川雅史)
諸事情によりめんどくさいので更新が止まっていたがまあ適当に。
あー、言い忘れてたけどジャンプ読み切りの「犬士ヒムカ」は結構よかった。
このお話の基本ストーリーはいわゆるえーとなんだ、
鼻を折られた天狗の子供が妖怪を退治したり
身体を取られた少年剣士が48匹の魔物と戦ったり
散らばった宝貝を集めて中国っぽいところを漫遊とか
オッスオラ悟空とか
死者の指輪を
神のカード
なんか違ってきてませんか?
そーゆーPRG風味なわけで、比較的「やりやすい」位置にある漫画だなあと思った。
や、こーゆー「分散系収拾(撃破)型」とでも仮に言っておこーか、この類の話の利点は「後ろに繋げやすい」ってーこと。
目的とするものがたった一つの場合(たとえば大ボスを撃破)よりも、目的を複数用意しておくことで「各個のエピソード」というものを作りやすいのだ。
毎回毎回「その事件の裏には実はなんちゃらが絡んでいた」ってーものを作ることが容易で、なおかつその目的が「全体のうちのひとつ」であるから、たとえば同じくそれを追う側の敵集団とか、それを追うライバルとかの登場をさせたりと、比較的簡単に「全体」としてお話を見せることができるわけで。
んー、あとはえーとワンピースでたとえてみようか。
あの設定に「グランドラインに入るためには7つの鍵を手に入れないといけない!」とかやると、当然こういうステータス表示が出てくる。
「ただいまの鍵はあと○個、あと○個でグランドラインだ!」
ふむ、つまりは「現在進行度」が判るのだな。これは全体エピソードを計る上でかなりやりやすいわけで。
もちろん難点もある。
それを集めれば集めるほど、倒せば倒すほど「進み具合がわかる」わけだが、同時にそれは「終わりが見えてくる」ってーことなわけで。
これを解消するためにドラゴンボールは「一回集めるともう一年後に集め直さないといけない」とやるし、遊戯王では「各エピソードごとに集めるモノを変えて、目的をどんどん変えていく」方法をとっているわけだが、そーゆー収拾話が「物語の根幹を為す」場合には「集めきったら話が終わっちゃう」わけで、諸刃の剣でもあるんだよなー、とか。
あー、なんか適当にくっちゃべってたらよくわからん話になってきたな。
まあ実際のところ、犬士ヒムカは起承転結もできてるし、なかなかの(受賞作に足る)作品だってー評価で。
というかしかし犬可愛いなあ(台無し)
むかしむかし、あるところにお父さんと息子さんが住んでいました。
お父さんは山へ芝刈りに、その息子はその埋め合わせにお仕事へっていうか芝刈り(意訳:ゴルフ)するために息子を仕事に呼ばないでくださいお父さん吐血。
そんなわけで本日で小学校やら中学校やらの給食室or配膳室のお掃除は完了です。ゴム手袋してても熱湯は熱いです。
さーてさっさと済ますかー。
「あー泥皇くん、免許持ってたよね?ちょっとこの車、駐車場へ運んでおいてくれる?」
と先輩。
「あ、了解です。えーと○○さん、アクセルってどっちでしたっけ?」
爽やかな笑顔で泥皇。
「……やっぱいいや」
複雑な顔をする先輩。
失敬な!ちょっと免許取ってからほんの丸2年ほど運転してないだけじゃないかっ!!
むしろそれがよくないと思いました、まる。
R.O.D3(倉田英之)
昨日一日考えてみたんだがやはりどうせならARMSみたく
「妻が欲しいか? ならばくれて(しつこいので以下略)
それはともかく。
さて本日は実家にあった本をほんの350冊ほど売り払ってみた。
「おお、合計1万30円!なかなか売れましたな」
ほくほく顔の泥皇。
「……減ったの?」
350冊どころじゃない残りの本を指さしながら母親。
「減りはしたですよ?」
むしろ怪訝な顔をする泥皇。
うむ、結果良ければ全て良しデスネ。
まあそれはそれとして今日は水曜日なんで電童やらパワーパフやらをワンピースやらを見たり。
えーと今日はミス・ウェンズデー登場でしたっけねビビ王女登場ですかどれどれぽちっとな。
ツリ目でデコッパチでアゴがトンガってるビビ王女が豪快に高笑いしていた。
……誰っ!?
本日も実家。
「お前の罪を、よこせ。」
さてさて昨日サンデーコミックスのトガリとARMS買ったんでその話でも。
えー、「お話」の要素のひとつとして、「ダークヒーロー」とか「アンチヒーロー」ってーものがある。
まあ呼び名はどーでもいいけどそういうもんがあるわけだ。とりあえずダークヒーローに呼称統一して話を進めよう。
んでこの「ダークヒーロー」って要素の何が面白いかってーと、それはやっぱり「既存概念の破壊」だったりする。
ちょいと話を戻そう。まず、「正ヒーロー」の楽しみ方ってのはどこにあると思う?
「正ヒーロー」ってーのはえーとまあ要するに「英雄」とか「正義」とか「秩序」とかそーゆーもの側にいるわけだな。
たとえば街がある。そこでは一定の秩序とか正義があって、まあ秩序とかいうとうざったいのでこう言えばいいだろう、「平穏」がある。その平穏を脅かす敵と戦って、正義を貫くのが正ヒーローだったりする。
で、正ヒーローとはちょいと異なるのがダークヒーロー。こっちの場合は法とか秩序とかいうものお構いなしに戦うわけで。それがスカっと爽快感を与えればダークヒーローとして成功するわけだが。
でも、ただ単に法とか秩序とかを破るだけではダークヒーローではない。それだけではいわゆるただの相手の揚げ足取って難癖つけたいだけで理論的に相手を納得させられないキチガイになってしまったり、そうでなけりゃただの悪役になってしまったりするわけで、ダークヒーローってものになるためにはどうやら法や秩序以外の「ヒーロー」の条件がある、と。
正ヒーローというのが人々の平和、つまり「多数の人が認める、常識を多く含んだ正義」を貫くのであれば、ダークヒーローは「少数の人しか認めない(かもしれない)、常識とは一線を画す正義」を貫いているのだといえる。
この場合の常識ってのはつまり「多くの人がそれを正しいことだと思っていること」。それは「多くの人が正しいと思っているだけあって正しいことも多い」けれど、逆に言えば「多くの人が思っているから通用するだけで、理論として正しいと決まったわけではない(間違ってると決まったわけでもない)」わけで、ダークヒーローというのはそういう「しなければいけないわけではないけどなんとなく通ってるだけの常識」と「しかるべき理由で通ってる常識」の境界線を渡り歩いてるようなもんで。
言ってしまえばヒーローとダークヒーローの違いってのはそいつが「常識サイドにいる」か「常識外サイドにいる」かの違いだけで、ダークヒーローとかヒーローってーのは結局は同種のものだってー云い方もできるわけだ。
んー、つまり「ヒーロー」というものに常識的な道を歩ませるのが正ヒーロー。常識外の、時には悪と呼ばれる道とかを歩ませるのがダークヒーロー。そーゆーもんじゃないだろーかと思ったり。
で、「トガリ」。このお話は単純な「悪対悪」のお話じゃーない。
敵は「咎」(わかりやすく言うと悪意からなるスタンド能力)を操り社会に対して悪事を働く充分な「悪」なのだけど、主人公がただの悪かってーとそうでもない、なぜかってーと主人公は社会的な「常識」を持ってないだけであって、「悪」として「悪」をおこなってるわけではない。言うなれば「害になる悪と無垢ゆえの悪」の戦い。
さらに武器が「悪意が弱まれば弱まるほど力を失う」って設定のため、二律背反現象が起こる。主人公が「常識」の中から「優しさ」とかを覚えれば覚えるほど弱くなっていき、ヒーローとしての行動が遂行できなくなっていく、と。なかなか一筋縄ではいかない展開で、「善悪ってのは誰が決めるんだろーなー」とか思ったり思わなかったり。
まあともかくそういうみんなが盲目的に信じてるだけの「常識」を疑わせる「ダークヒーロー」ってー要素と、やさしくなればなるほど弱くなってしまう「アンビバレンツ(二律背反)」ってー要素、これがあるからトガリは面白いわけで。
んで、そういう要素を見事に再現したのがいつもの決めぜりふ。ヒーローでありつつ、ダークでもある、そういう意味を込めて主人公が敵に吠えるわけだ。
「お前の妻を、よこせ」と!ちがうちがう。
あーでも
「前世で数々の妻を犯……はまずいので仲良くなった緒方泥兵衛。地獄から抜け出すには百八日のあいだに百八人の生活に疲れた美人妻(未亡人だとなおよし)を幸せにしなければならないっ!!」
……よし!!(←なにがだ)
私立T女子学園9(竹田エリ)
破壊魔定光4(中平正彦)
なぜだか実家でお仕事。
……本気でなんでだ?
まあ考えても意味がないので考えないことにしよう、金が入るんだしー。
そんなわけで今日はジャンプの日です。
あー今週のジャンプは見どころがたくさんありますなー。
ナルトのいい加減先に進みたい感ぶんぶかしてるところとかりりむキッスがとうとう巻中カラーにまでなってるところとかクラゲ中二がまた載ってるところとかノルマンディーひみつ倶楽部が終わりそうな雰囲気なところとかハレルヤ3が未だに終わらないところとか。違う違う。いやある意味正しいので吐血。
えーとそんなわけでチョッピースワンピース、いきなりチョッパーがボコボコにされててその横でクロコダイルが『手間かけさせやがって……』と呟くとかいう展開になってなくてよかった。本気で良かった(感涙)っていうかビクビクドキドキスタスタそろーりシーンは見ているこっちがドキドキですよー!?別の意味で。というか鼻血の意味でドキドキ。ああんもうチョッ(以下略)
さてそれはともかく話がどんどん動いてていい感じです。今週はワンピースのキモであるウオオオオオ!!!という部分がないんだがそれってのは結局そのウオオオオオ!!までにどれだけ燃える準備を整えておくかってーのが問題なわけで、そういう「お話における要素の置き方」から見るとやはりワンピースはすげえなあと思ってみたり。
ここ3〜4週ストーリーの立場というか役割ってーのはつまり「化かし合い」。ここでしっかりと騙して騙されて出し抜いて出し抜かれて、「あの手この手で追い詰めるクロコダイル」と、「それに一丸となって立ち向かうルヒー」を描くことによって「対立の構図」を深く掘り「戦力の拮抗」状況を作ることによって、最終的に「それの解決」が盛り上がるわけだ。
ただ「悪いヤツをぶっ飛ばすお話」ならむしろこの化かし合いは要らないわけで、それを敢えて書くことにより事件そのものの大きさというか構図のスケールアップがなされる。
「お話」全体としてはむしろ「クロコダイルVSルヒー」ではなく、「クロコダイル率いるバロックワークスVSルヒー率いるルヒーチームと王国軍」ってー構図でここでのルヒーたちは今までの、「襲いかかってくる敵を倒せば事件解決」ではなく「バロックワークス全体を倒すための(重大な)歯車のひとつ」であるはず。
ルヒーたち一行ってー「チーム」がそういう複雑に絡んだキーであるってーことをより強く見せるためにも、ここ数週の化かし合いで「ひとつひとつの行動全てが事件全体を左右する」ってーことを見せているってーことでしょうな。ルヒーたちが化かせば化かすほど、「本来ならば」完璧なクロコダイルの計画に綻びがどんどん生じていく。
そーゆー綻びが全部積み上がったあとで。
そーゆー流れの最後の最後で。
どーん!とルヒーがぶっ飛ばしてくれる。
そーゆー「完璧なクロコダイル」を崩していく=「アッツイお話」ためのここ最近の「化かし合い」なわけだね。
さてさてアラバスタ編はもはや「因幡の白兎」を材料として話を作ってるてーのは疑いようのない事実。
オチ自体は多分「河に落ちるクロコダイル」かなーとは思うのだが、やはりそこに至る過程ってのがなければ文字通り「話にならない」わけで。
今まで張りに張られまくった伏線をどうやって消化するかってーのがますます楽しみですな。
……しかし、実際の話ワンピースを読んでなかったりジャンプぱらぱらっと読むだけで済ます人にはこーゆー「作り込んだ料理の美味しさ」ってのは味わえないわけで、非常に「もったいないよなー」とか思ってみたりもする。
トガリ2(夏目義徳)
ARMS16(皆川亮二)
チャット内での会話(ちょっとだけ編集してるが)
セロス(仮)「泥皇さん、泥皇さん〜〜〜これ欲しいと思いません?(核爆)僕は現物でとても見てみたいです(謎)
」
といって彼が出したのがこれ。しかし。
拙者「ああ、それね(あっさりと)」
ちょっと自分に自信がなくなってきた今日この頃。
名探偵コナン31(青山剛晶)
無頼伝涯5(福本伸行)
いつの間にかバラモスが倒れていたりして。
というかなんでいきなり拙者はドラクエ3をやっておるんか。
パソコン最高ー。激しい炎が出たらロードしてアストロンー(インチキ)
さて今日はどうでもいい知識。
どんな医者が信用できるかってー話。
内科医とか外科医とか歯科医とか泌尿器科医とかまあいろいろいるわけだが一番安心して任せられるのは実は小児科医だったり。
なぜかってーと小児科医ってーのはそもそも「子供全般を相手にする」科なんで、子供のような困ったちゃんを相手にしなければならん&基本的な内科外科等の医療スキルを持っていなくちゃー話にならん、つまり「苦労の割にリターンが少ない」わけだ。
えーと手っ取り早く言うと難しい小児科の勉強をこなしたのに毎日毎日ガキどもの相手をしなきゃならない必死にやらなければならない上に、デリケートな子供を相手に診療せないかんので、「医療行為をしっかりやるひと」でないとできない職業なのだよね。
いやまあそりゃ良い内科医とかもいれば悪い小児科医だってどっかにいるんだろうけど、内科医に比べて遥かにハイリスクローリターンなわけで、少なくとも金のために医者になるだけの人物とかにはできんだろーと、そういう話。
というか大病院の院長の座を狙う小児科医とかいるのは嫌です。
あと、ドラゴンマガジン増刊号をちょっと読む。今号にはなんだかオーフェンVSスレイヤーズとかいうのが載ってるそうで。
……全部それだとは思わなかったが(汗)うーむ、ちょっと見直したぞ神坂一に秋田禎信。
まあそれはともかく読むのが楽しみである。
いやー、楽しみだなー。短編を選んだ作家と長編を選んだ作家の合作というのはっ。
テレビ特捜部。
たけしの万物創世記。
誰でもピカソ。
ここがヘンだよ日本人。
特に一番最後だよなあ。
バトルロワイアルしてもおかしく無(削除)
50人の外国人が無人のスタジオで(削除)
っていうかそのうち本当にキレるんではないだろうかあの番組。いやもう見てないけど。
さて。
ちょいと質問だ。
「あなたの好きな食べ物はなんですか?」
さて、どう答える?
まあこの問いにはカレーだろうがハンバーグだろうが何を答えようが構わないわけだが、そこでさらに考えてみよう。
「あなたの好みはそれだけか?」
いやいやそうではないだろう。
美味いモノは美味い。
美味い食い物を好むのは当たり前で、不味い食い物を好んで食うヤツがいたらそりゃ不味さの中にある美味さを見出すヤツなわけだから、結局それは「不味い物を好んでいる」わけではないのだよね。
ともかく「美味いモノ」はすべて「好み」の中に入ってしまうわけで、ひとつ料理名を挙げたとしても、その人の好みを知るには不十分だったりする。なぜかってーと、その料理名はその人の「好みに合致する料理のひとつ」、一部分であって、その人の「好み」そのものではないからなわけで、つまり、好きな食べ物は何か?と問われた場合、それを真に答えるにはその人が今まで食っていた中で美味いと感じたモノ全てを挙げる必要があるわけだ。
よくわからないときにはこう考えてみよう。
「好きなものだけでその人の好み全てを把握することは難しい」早く言えばよかったですかそうですかすいません吐血。まあいいか気にするな復活。
じゃあ逆に考えてみよう。
「あなたの嫌いな食べ物は?」
……こう考えると話は違ってくるわけで、なにを言いたいかってーとその人の「性質」の話だったりするわけだが。
んで、この「嫌い」の方向で考えると話は驚くほど単純だったりする。その人が「何を拒否するか」だけの話なんだから、拒否するような部分を片っ端から削除していけばいい。辛い物がダメな人なら全ての辛い物を排した中で美味い料理を出せばいいんだし、魚介類がダメなら魚介類以外の美味い料理を出せばいい。その人の「嫌い」を知れば、その人がどういう人なのかどんどん判ってきたり。
「好き」に対しての「嫌い」ってーのは、実は驚くほど簡単で明解な思考だってー話。
さて、最後に質問だ。
「あなたの嫌いなものはなんですか?」
というわけでその人の見えてる好みなんてーものは一部分でしかないのですよ。
だから拙者が未亡(削除)
なんだか昨日バカバカと連呼してしまったので、今日は違うバカのお話っていうかまたバカの話ですか泥皇さん。
いいじゃないですか掲示板に面白いネタがあったんですから。(意訳:拙者の文章よりも面白いネタなんだからしょうがないじゃんかよコンチクショウ)
というわけで。
バカ、という行動がある。まあ要するに奇行=多数による「常識」から外れた行為(昨日のはそれが「迷惑」になっているという意味でのバカね)なわけだが。
(余談だけど、拙者はバカというものに線引きはないものだと思ってる。常識からある程度逸脱しているものを「バカ」と読んでいるわけだが、そもそもその逸脱するための「常識」自体に明確な線引きはない。多数がより多数であるほど常識とバカの境があるように見えるが、その「線」はあくまで「そのあたり」という個々の認識によって成り立っており、つまりは「バカか常識か」ではなく「どれぐらい常識とされる平均値から外れているか」で「バカの大きさ」が変わるだけではないかと。要するに完全平均値でもない限り、全ての人間はあらゆる分野、あらゆる分類において「いくらかのバカ度を持っている」が正しいんではないかとー)
そーゆーバカ度ってーものを、突き詰めるってーのは、実は大変なことなんじゃないかと。
さて、バカに対する「常識」ってーものは、実はただの「安穏」だったりする。
できるだけ「平均値に近づく」行為ってーのは確かに安定したものができるんだけど、それ「だけ」ではなんにもならんのだよね。「冒険」「挑戦」「革新」「発展」、言葉は違えど、結局のところそーゆー「バカ」な部分「も」なければなんにも話は進まない。
何かをやる場合には踏まねばならない「基本」という常識を踏みつつ、「バカ」な部分も同時に踏むことで成り立つわけだな。
そーゆーわけで。
バカというものをきちんと踏み込むこと、これは大事なことである、と。(もちろん人に迷惑をかけないってー「常識」も大事だ)
でもバカすぎです吐血。
誰ですかこれ作ったのっ!?
っていうかバター(削除)
主人公ダブリの高(削除)
力の源が(削除)
ああっあんまりにもあんまり過ぎて何も書けない吐血。
っていうか聞いたことない出版社なんですがその豊満社吐血。
えーとパロディもここまでやるともはや芸術ですよねー(目を逸らしながら)
今日の教訓。
やりすぎ。
言うと「ホワイ?トゥデイ(何故の今日)」とか言いながら密室殺人が起こったりするんだろうなあ頑張れ九十九十九。そのサングラスからにじみ出る絶世の醜さをまき散らせ。龍宮城之介は言葉遊びでこじつけろ。ポセイドンは海を行け。
そんなわけで3月14日、とりあえずゴマスリのためとかで何個かまいてみたが喫茶店のオバちゃんがいなかったので一個余ったどうしてくれますかいや食うけど。甘いものダイスキーもしゃもしゃもしゃもしゃうそですまだ食べてませんいや食うけど。
さて今日は書くのがめんどくさくなったので諸事情により申し訳ありませんがオススメの料理でも紹介してお茶を濁しておこうさせていただきます、ご了承ください。
やった鬼術一日分浮いた明日からはまた頑張りますんで。
ではまずキンカンと若鶏の血肝を適当に揃えましょう。量?知るかバカ適当でいいんだよ適当で各自のお好みで量を調節してください。
……ナニ?
キンカンがわからない?
そんなことも知らねえのかそれはですね。えーとキンカンというのはニワトリの卵巣を引きずり出したもの卵として完成されてない無精卵の束です。
あー、どんな風に引きずり出すんだろうなあニワトリの首をコキュッと捻って股に包丁突き立ててザクザクと引きずり出すんだろうか卵巣だとか聞いて気負っちゃいけません、中身ははっきり言って卵と変わらないんですから。
ともかく用意するのはキンカンと若鶏の血肝。別に肉ならどうでもいいけどな別に血肝でなくたってレバーでも砂肝でも、好きなものをご用意ください。
さてめんどくさいのでとっとと終わらせよう手短にいきましょう。
カップ半杯の水と砂糖大さじ4杯醤油大さじ3杯を鍋に入れ、適当に材料を放り込みつつキンカンを潰さないように気をつけながら弱火でじっくり煮る。
サルでもできるたったこれだけ、まさにお手軽料理!
……などとヒネた文章を書いてみたりして。いやまあ料理自体はなかなかこれでウマかったりするんで一人暮らしの方とか料理のできる人はやってみるとよい。ショウガショウガを軽く入れるとなおよろし。
さて。
上の文章だが、こう考えてみる。
「文章そのものが伝えることに違いはあるか?」
いや別に答えなくてもわかるだろーけど、これ、「物言い」が違うだけで言ってることはほとんど同じなのだよね。
違うのは「伝え方」だけなわけで、伝える内容は同じ。
……だからって「内容さえ伝われば伝え方はどーでもいいのか?」と問われたらどーなんだろーか。
んー。いくつか似たようなサンプルがあるが、どうせなら現実のものを使っておく。これはもう解決したし。
かつて、やたら拙者の周りで騒ぐバカがいた。なんだか拙者のことを嫌ってて、勝手に家の近くに来て(ウチは家が大学に近いんで)野次を飛ばすわ、行きつけの喫茶店で近くに座ってくるわ。そのくせ家の前に出ていったり会計を済まして話そうとすると速攻尻尾巻いて逃げていくような、そーゆーバカ。まあこういう類のバカは、非常に目障りなわけで。
拙者の「望み」というのは単純なわけだ。「目障りなので、目障りじゃなくなって欲しい」。上記で言う「伝えたい内容」がこれなのだよね。
さて、実は目障りじゃなくす「だけ」だったら簡単だったりする。そのバカ、住所や学籍番号が判ってるんで、行って殴ってやりゃ済むわけだ。それだけでことは足りるし、大学にかけあってある程度の処分をさせることだってできるかもしれん。目障りなものを目障りじゃなくす「だけの方法」だったらいくらでもある。
ただ、拙者はそれをしなかったわけだ。
なぜか?
後の報復を恐れたり、それをやること自体めんどくさかったり、人を頼るのが嫌だったり。そーゆーいろんなリスクと、それを行って得るリターンが釣り合わないからなわけだが。
でも、一番の理由はやっぱり「そーゆーことをする自分でいたくない」というのがあったりするわけで。
仮にそーゆーことをやったとしよう。その場合「目障りじゃなくならせる」=「伝えたい内容」は伝わる。
でも、それをして本当に伝わったといえるんだろうか?
その目的が「相手を黙らせる」だけになってないだろうか?
いろいろあってそのバカの行方はもう知らないが、ふと、そいつは今どうしてるのかなーとか思ってみたり。
いやはや、そーゆーバカってのは実はもの凄く可哀想なんじゃないかなーとか。
(まあ防衛した後だからこそこういう台詞も出るんだが)
B.Mネクタール5(藤澤勇希)
カムナガラ2(やまむらはじめ)
明日のための代金、しめて1300円なり。
……ちょいと馬鹿なことを考えてみよう。
「この出費は、高いのか安いのか?」
ふむ。
単純に、「1300円の出費」というのは決して安い金額ではないのだよね。
えーと拙者の食費をちょいと高めに見積もって1日500円だとしても、1300円あれば2日半の食費。「拙者の生活」という点から見れば「1300円を払うこと」そのものは結構な痛手になるわけで。
でも。
その1300円を払って、「何を得るのか?」と考えてみよう。
逆に。
その得るものに、「1300円を払う価値はあるのか?」と考えてみよう。
1300円がちょいと現実臭すぎるってーなら値段のバランスを変えて考えればいい。
「生涯を誓い合った仲の恋人に30円のチョコひとつぶ」
「たまにオマケしてくれる駄菓子屋のオバちゃんに8000円のクッキーを」
さて。
貴方がそれを高いと感じたか、安いと感じたか。
その判断を拙者が「正しいよ」「間違ってるよ」と言うことなんぞ出来ないのだよね。
何故なら、その差は「その人にとっての重み」と金銭の差であって、「その人にとっての重み」に文句をつけることなんぞ誰にも出来ないわけで。
さらに言うなら、「1300円」というものの重みですら、「その人にとっての重み」に頼るしかないわけで、ぶっちゃけた話「1300円を紙クズの如く薄っぺらに見ている人」にとっては1300円で得られる「ソレ」はもの凄くお得なわけだな。
「金銭」というのはもっとも比較しやすい「価値基準」であるのだけれど。
「金銭」に限らず、「自分にとっての」全てのモノの重みは「他のモノ」と比べての重みで決定されているわけだけど。
「重み」なんてものは結局「他のモノに対して」考えなければ何も感じられないわけで、逆に言えば「大事なモノ」だって「金銭の量」に置き換えて考えることだってできちゃうわけだよなー。
拙者の目の前に100万円を突きつけて、「100万円やるからコイツを殴れ」と言う人が現れたら、拙者はソイツを殴るだろうか?
殴るリスクは100万円に足るものだろうか?
殴らないとしたら、100万円を蹴ってまで「殴らない」理由があるはずだ。
「100万円を蹴るほどの」殴らない理由ってのはなんなんだろうね?
そんなことを考えつつ買った合計1300円。
渡しますよ渡しますともさ。
こんな思考があったことを微塵もみせずに。
よーしいいかい今からゲームをするぞー!
っていうかもうやってるぞー!
ルールは単純だ!
キミを楽しませられたらボクの勝ち!
キミが楽しめる場所を見つけられたらキミの勝ち!
さらに追加ルール!
キミだけ楽しんだらキミの負け!
楽しめないのにその場所にいたらキミの負け!
期間は人生が終わるまで!
と、まあそういうわけでどういうわけなんだか拙者でもよくわかってない部分が多々ありますがいろいろと片付けも終わりっていうか終わらせる問題が一つどころではない時点で終わってる気がするんですがともかく全部終わるメドもついてめでたしめでたし吐血。
えーとなんか話が重くなってきたので今日はチョッパーの話でもしましょうかああんもうチョ(削除)
いやー今週のワンピはよかったですなー!もうチョッパーがサンジと一緒にところせましと暴れ回ってルフィ救出、さぁ逆転だ!って感じの息もつかせぬドキドキワクワクハラハラな展開!!
ただし拙者の頭の中だけで吐血。
あー、やー!もーやー!もーやー!
ナルトは説明ばっかで中身がないしりりむはどこまでわざとなのか悩むしボーボボは冷静な時に見るとますますヘコむし黒猫はもはや「カッコイイ戦闘シーン」だけで漫画ですらないしハレルヤ3はまだ続いてるしえーとなんか書くのめんどいので以下略。
そんなわけでふて寝。
どうでもいい話ですが、スペイン語で「アホ」とはニンニクのことだそうです。
ちなみに「バカ」は牛のことだそうです。
言葉って面白いですね(投げやりに)
突然ですが、妹は好きですか?
……いや、ネタにしたはいいがコメントに困りますのはどういうことでしょうかこれ。
えーと簡単に言うと、「突然可愛い妹が12人もできた、さぁどうする!」そーゆーゲェムのようです。
……えーと。
選択肢の進め方によって「血縁・非血縁エンドに分かれる」らしいです。
……えーと。
シナリオはむしろ不要だそうです。ひたすら萌えるだけで良いそうです。
……えーと。
すいません拙者帰ってもいいでしょうか?なんだか泣きたくなってきたんですが。
さらにはシスプリバスなるものも東京を練り走るそうですね。
しかもこれ、「下記ルートのどこか」を走り回る隠れキャラです。つまりは根性で探せということのようです。
これに乗るために全国からお兄ちゃん達が集まるらしいです。えーとこの「お兄ちゃん」という箇所に「猛者」とルビ振ってもよろしいでしょうか?
以下、場面を想像シチュエーションはバスに乗ろうとした普通の人。時間はギリギリ。
「あー急がないと間に合わないなこりゃ(走)」
(5分後)
「よーし間に合った間に合った。これに乗りゃ間に合うなおっバスが来た来た」
「………………」
さてここで問題です。「乗れるの?」(人として)
世の中はまだまだ広いと思いました、まる。
そんなわけでいろいろあるわけで。
さて、世の中を渡っていると理不尽な、少なくとも自分にとって理不尽な攻撃を受けることが多々あります。
いや今回は自分から攻撃を受けに来るような人とかの話ではなくて。
自分としてはこうすることが正しいと思ってしたことだったのに上手くいかない。
周りの人に「その方法では駄目だよ」「それじゃ足りないな」等々、やったことが認められない。
しかも、周りの人の意見には筋が通っていて、「それが駄目な理由」とかがきちんと提示されている。
誰もが同じ状況を味わったことがあるはず。
ではここで問題だ。
「自分の非を認め、素直に謝ることができるか?」
あー、いやえーとここで「できますよ?」とか言われても困るので、たとえできるとしても「謝りたくない」という意識があるってーことを認めておきましょう。認めてください。
自分にとっては「これでいい」と思ってやったことなのに、それが通らなかった。「なんで通らないんだ」と思うのは当然のことだし、たとえ理由が明らかになっても「自分のやってきたこと」を否定されたくないのは当然だわな。
しかし、自分で「でも俺は頑張ったんだ」と言うのはやはりどうかなーとか思ったり思ったり思ったり思う。むしろ大前提。
「自分は頑張った」というのがどんなに事実だろうと、「頑張る」行為ってーのはそもそも「何かを為すための態度」であるわけで。
所詮「態度」を評価して良いのは「頑張った本人以外の人」だけなのだよなーと。
っていうか「俺は頑張った」なんぞ「自己弁護以外の何物でもない」「結局自分をよく見せたいだけ」だってーことなんですが。
そーゆー感情があるのは否定せんが、それを正当化して「通る」ものだと思いこむのはやはりドウかなーというお話。
あーと。別HPからの話題をちらっと拙者語で。
さて、問おう。「君の見ている青は本当に青なのか?」
こんなこと言うと「ハァ?何言ってるの?」と思うかもしれんが。ってか思うだろうけど。
たとえばここに青いガラスがあるとする。みんながそれを「青い」と言い、その青さの深みとか色合いとかについて論じることもできる。
でも、その「青」をみんなは本当に「青」だと思っているんでしょうか?
実はみんなや自分が「青」という名前で見ている色は、みんなにとっての「オレンジ」だとしたらどうしよう?
もしくはみんながみんな「オレンジ」と呼んでいるその色。自分でも「オレンジ」だと思っているその色が、実はみんなにとっての「青」に見えているのだとしたら?
とかなんとか。実際には「そーゆー波長の光」を「青」と呼称しているのであって、誰かの目に入った光がどんな色でそいつの脳内を駆けめぐってそいつがどんな認識をしていようとも、その光(の波長)が「青」と呼称されることには変わりがないわけで。
たとえばトンボの目ってーのは何億だか何万だかの複眼が寄り集まってできているわけだが、じゃあトンボは何億だか何万だかの映像を見ているのかってーと必ずしもそういうわけではない。人間の目が二つあっても見える映像はそれを統合して認識した「一つの映像」なのと同様、トンボの目にはそれが「一つの映像」として映っているはずなのだよね。
で、何を言いたいのかってーと、どんなに「同じもの」を見ていようが、個人によって見えるものは違うわけで。どんなに「違うこと」に見ていようが実は同じものを指していることもあるかもしれないわけで。
でも、もしもそいつの「見ているもの」と言うのが理解できたらそれはもの凄く面白くて、もの凄く怖い話なんじゃなかろーかなーと。
そんなわけで再び「サトラレ」を読む。
やー、実際の話、こうやって言葉で出てきても、どこまでわかってるんじゃろーかなーとか思ったりなんかしたりして。
あーそうそうそういえばサトラレ映画、どうやら里見健一(お医者さん)の話らしいです。いやー良かった良かった西山くんじゃなくて。
だって感動のお話のラストが「こんなんなっちゃってるの」では(削除)
新フォーチュン・クエスト7(深沢美潮)
時空のクロス・ロード2(鷹見一幸)
とある木こりが木を切っています。
「今日もいい天気だべえ」
えーとめんどくさくなったので以下はしょっていきましょう。ともかく斧を落としたら女神が現れました。
「あなたが落としたのはこの普通の織絵さんですか?それとも金髪のベガさんですか?青い髪の少女ですか?」
「全部くれ」
木こりというかむしろ拙者が幸せになりたい。
いきなりだが、もしもチョッパーが目の前に居ても、それほど燃えないんじゃないかなーと思ってみたり。
確かに拙者はチョッパーが大好きで、たとえば「アミウダケのスープ!うまい?」などとニッコリドキドキ鼻の穴にティッシュ詰め笑顔のチョッパーにスープを差し出されようものならたとえそのスープが猛毒でも思わず飲み干してしまう自信はあるし、チョッパーが「ウオオオオオオオオ!!」と吠えようものなら一緒になって「ウオオオオオオオオオオオオ!!(鼻血)」となること請け合いなわけですが。わけですがっ(鼻血を押さえながら)
でもそれは結局そのチョッパーの仕草ひとつひとつに、16巻あたりにある一連のエピソードという過去を投影させて思い起こしているからこそ「ウオオオオオオオオ!!」となる、つまりはチョッパーの仕草そのものよりも先に、チョッパーの仕草lから思い浮かぶ「感動」があるからこそ燃えているわけであって。
たとえばRAVEの漫画で偶然「チョッパーそっくりの姿をしたキャラ」がチョッパーよりも先に出てきたとしても拙者は「ウオオオオオオ!!」とはならないんだろーなーとそんなことを考えてみたり。
まあ事実、チョッパーが「登場した」最初の数回は「あー、なんか可愛いキャラじゃのう」程度にしか思っていなかったわけで。
ただし。
既にチョッパーは拙者に「過去」を見せてくれたので、もうチョッパーから過去を連想するなという方が無理なので拙者がチョッパーに対してどんな仕草でも「ウオオオオオオオオオ!!」となるのは無理もないことでありああんもうチョッ(以下略)。
そんなわけで昨日の続き。ところで今「都築」が第一候補に出やがった。やってもいないのに、少年エーーーーース!(謎)ところで「漫画を描く技術」を持ってないイラストレーターに漫画を描かせるのは無理があると思いますよ、漫画とイラストは違うんだから。(さらに謎)
さてさて、とりあえずへろへろになりながら映画館を出たのが12:55だったわけで、何を思ったのか泥皇さんそのまま近くの「BROTHER」を観に行ってしまいましたというお話。いや本気でなんで映画のハシゴなんてしたのやら。きっと起きてから12時間経ってたわけで疲れが溜まっていたんでしょうね。(他人事のように)
ともかくBROTHERですな。なんだかばかすか人が死んで、ほけーっと観てたらいきなり銃で撃たれるシーンになったりとちょいと心臓に悪かったりしてそれが妙に心地よい。
あの人達はいったい何をしたいんだろうなあ、と思っている内に物語は淡々と進んで、人はばかすか死んで、わけがわからないうちにどんどんと妙な展開になっていくわけで。
なんというか、この映画を一言で表すなら「笑えないギャグ映画」そういった感じ。
「俺達、馬鹿やってるよなあ」とかいいながらも止まれない人達がどんどん馬鹿やって、どんどん駄目になっていって、それでも止まれず「もう笑うしかない」。
一歩間違えばただの出来損ないのギャグ映画なんじゃないかなーと思ったわけですが、それでもいいと言う人は観ておくといいんではないかしら。きっと「なんなんだ、これ?」とか思いながらも飽きるってことはないはず。
なんだか褒めてるんだかけなしてるんだかよくわからんが、映画とか本とかアニメとかは、「最初から最後まで飽きさせずに見せられたら勝ち」ってー部分もあるんでこれでいいんじゃないかと思ってみたり。
そういうわけで行ってきましたよチョッパーを観に。(さりげなく断言)
でもなぜか観た直後に北野武の「BROTHER」観てるのがなんなんだかよくわかんなかったりして。映画ハシゴはやめよう。疲れるから。
しかも午後11時に起きてからそのまんま観に行ったわけだし。どういう生活してますか泥皇さん。
そんなこんなで自業自得にフラフラになりながら観てきたワンピースとデジモンとBROTHER。驚いたことに途中で寝ませんでしたヨ!(それは驚くところなのか)
えーとまずはワンピースから。
ところで皆さんどうやら拙者がチョッパーを観るためだけにワンピースを見に行ったと思っているようですがそういうわけではありません。
むしろ「チョッパーのためだけにワンピースを見に来る泥皇」という図式をネタにするために来たのです。本当です嘘じゃありませんか?(疑問形)
ええとそういうわけで本当の拙者は別にチョッパーさえいれば良いというわけではなく未亡人さえいればいいというわけでもなく「そういう馬鹿な行動を取っている拙者」を演じているだけであって本当はチョッパーのオットコマエ行動には惚れ込んでいたりはしても必ずしもチョッパーのビジュアルさえあればいいというわけではありませんか?(疑問形)
んー、今回はアレだ。なんというか「ドラゴンボール劇場版」のような映画だったなーと。
あー、お話の流れとしては序盤で謎の敵が現れて、そいつらの強さで仲間とかゲストキャラとか大事なおたからとかがさらわれて、それを取り返すために敵陣へ。そこでどんどん仲間がやられていって主人公だけになるんだけどなんとかみんな復活、それぞれ敵を1人ずつ倒して、
(場合によっては逆パターン、みんなで敵を1人ずつ倒すがどんどん倒れていく「仲間の死を乗り越えて」というのもある。もちろん実際には死んでない)
ボス戦にて主人公勝利、そしてゲストキャラが幸せになってメデタシメデタシ。大まかなストーリーはまさにドラゴンボールのソレでした。
あーとところで今回は若干のぐにゃぐにゃというかところどころにグニャグニャがあってあの変なグニャグニャした動きとかはなんなんだろうなあ見てない人にはわからんだろうがあのグニャグニャは相当違和感ありましたよグニャグニャ。えーグニャグニャ。
あと今回の敵キャラ。使い方がいまいち。あれだけやっておいて倒す部分が淡泊だったのが気になるんで、もうちょっと「戦力の拮抗」という部分が欲しかったわけで。
まあゾロやサンジはケガでもしてくんなきゃ敵さんは到底勝てないとか言われりゃそれまでだが、どうも「あれだけ盛り上げた割には倒し方があっけない」のは事実。ちょいと残念。せっかく今回は泥泥じゃなかったドロドロの実だかが出てきたというのに。
さて、確かに映画版ワンピースってーかアニメ版もそうだがってのは原作にある「どーん」という部分は少ないと思うが。案外いい出来なんじゃないかと思う。
「どーん」での感動の根幹は「何かをしようとする意志の強さ」であって、「俺はこう思う」「俺はこうする」という意志を見せる、貫く描写をすることで感動させるのである。
そのためアニメ版にそーゆー描写が少ないってーのは確かに「どーん」不足ではあるわけだが、ここでの対象者はあくまで「子供」。子供であるからには深く「考えさせる」ものではなく、わかりやすく「見せる」ことがまず必要なわけだ。
だから、たとえ展開がバレバレであろうが子供に「行動を明確に見せる」ことを最優先しているのだな、アニメ版は。
「単純明快」ストーリーの中で「いかに子供をドキドキハラハラワクワクと楽しませるか」、それは「子供向け」であって、決して「子供騙し」ってーわけではない。そういう面で観れば結構な出来かと。
「感想」としてはどーんがないのでそれほど高くはないが、「出来」という点ではなかなかええもんでした。そんなわけで、総合として60点のところをチョッパーが5秒間の後ろ姿しかなかったので124点とします。(爽やかな笑顔で)
……何を言ってるんですかあなた達はっ!?失敬な!
チョッパーが全編に渡って出演してたらこんな加点じゃ済みませんよっ!?ああんもう好き好きチョッパー!!いやただの演技ですか?(疑問形)
で、お次はデジモン……の前になんかあるみたいです。えーと「ジャンゴのダンスカーニバル」?ほほー。
……えーと。
逃げたジャンゴが踊り狂う話。
……いや、間違ってないし。っつまりはあの音楽に合わせて踊る映像さえあればいいタイアップ企画かなんかなんでしょうけど。
まあそれは別にいいのですがジャンゴの声が矢尾一樹ではないってーのがかなり駄目っぽかったですな。プロダクションの問題なのか、あれだけの出演にわざわざ高級矢尾一樹を使えなかったのか。
どちらにしろお疲れさま、影武者。(と書いて高木渉と読む)
や、それはともかくデジモンです。
えーと敵が出たので倒したら巨大化。それをみんなのちからで倒しました、終わり。
むう。理屈が多くて難しい割によくわかんない展開だったんでドウにもコウにも。
っていうか結局なにをしたかったんですか?
もしかしてあれだけやってわかったことはあの戦いが終わっても、みんな元気ですですか?
と、いろいろ書いてたら疲れたのでBROTHERの感想は明日に続くー。
DIOっ!!
お前はっ!
ボクが諦めるまでっ!!
撫でるのをやめないっ!!
あー、チョッパー撫でてえー。(心からのつぶやき)
というわけで今日は行きますよ、ワンピースを観に!
デジモン?なんですかソレ?
えーっと今8時で、はじまるのが9:45だから、あーとまだ一時間ほど空きがあるなーちょっと昼寝でもするかー。
午後6時だった。
……あれぇ?
仮面ライダーアギトを見る。ところで怪人が襲う前にやる変な動作、手話?
あー、これがウワサのギルスかー、なんだかケモノみてーだなーあー必殺技出すぞー。
……殺し屋1(イチ)?
……あー。
とあるRPGがあるとしよう。
そのマップには一本の道があり、プレイヤーはその道を進みたいわけだ。
で、進む。ずんずんと。歩くわけだな。
そうすると今度は壁があるわけだ、ずーんと。
でも、道はその壁の向こうへ続いている。
「あなたはどうしますか?」
さて、普通はなんとか通れる道がないか探すわけだ。「そういうゲーム」なのだから近くの村にヒントがあるかもしれないし、もしかすると壁に文字が書いてあって、読むことによってイベントが進むのかもしれない。これがゼルダみたいなアクション風味なら壁抜け用アクションがあるのかもしれない。
まあともかく、ゲームである以上「なんらかの通り方」というのが決まっているわけだな。
……あー。
いや、ちょいとたとえを変えよう。一軒の店があり、イベントアイテムを売っている。
買いたいけれど、そのアイテムには999999Gとかの値段がついてて、とてもとても買えやしない。
……あー。
スライム相手に999999G稼いじゃうような方法はどうかなあ、と思うようなことが多々ありました吐血。
さて、今日はドラゴンマガジンを読みましたというかむしろ読みましたらぶまほ。
……なんだか負けた気分。
ぬう、展開が見え見えだと思っていたのにっ!?今回の騒動で魔法一回使って最終回に最後の一回を使って、「実は魔法カウンターの数値以上の魔法回数持っていました」とかお約束の展開だと思っていたのにまさかこんなオチだったとはっ!?
ええいこの泥皇、してやられたって感じですなっ!!
……まあ、してやられたところで、つまんないことには変わりがないわけで吐血。まさか「幽霊になって生き残る」なんて誰にも読めませんですが読めなければいいというものでもない。
はい、今日はワンピースの映画公開日です。
でも拙者はどうしようかなーてところです。
やー、アニメ版はそれほどっていうかまあそれでも普通の駄目アニメよりはマシとかいう部分はあるけどやっぱりこのワンピースのキモであるどーんはあまり感じたことがないわけであってそれは結局アニメ版よりも原作がはるかに好きだからしょうがないと言えばしょうがないんだがそれでもやはり原作におけるどーんが好きだから拙者はワンピースを見ているわけでありどーんが無いとまでは言わないがどーんの少ないアニメ版の映画をわざわざ高い金を払ってと言っても名古屋の金券ショップに行けば1200円ほどで見られるのだがまあそれはそれとしてそれでもその映画を一回観るだけでコミックス3冊分の価値があるのかなあと思うのにやぶさかではないからして映画を観ることをどうしようかと悩んでいるわけであっていかにCMでゾロが相変わらずセンスの悪い服が似合おうとサンジがやっぱり泥かぶり役になろうとナミの胸は絶対原作よりデカくなってるんですがそれは原画の趣味なんでしょうかとかいうことがあろうとミス・ダブルフィンガーがあんなキャラだとは思わなかろうと映画を観に行きたいと思わせる要素足り得ないわけであってさらに言うなればデジモンがあるというのもそれを考えている最中に思い出した拙者にとってはあくまで副次的なオマケ要素であるどころかどうせならワンピース一本で2時間ほど使って欲しいという理由から拙者に映画を観に行こうと決意させる要素ではないためにええいもういいや観に行くのやめ
チョッパーがEDに出るそうですね(鼻血)
チクサクコール(うすた京介)
ライジングインパクト10(鈴木央)
シャーマンキング13(武井宏之)
さて、掲示板にていろいろ聞いて、またちょいちょいとまとまってきたような感じ。
昨日はミリタリー小説における「そーゆーもの」の効果について話したわけですが、どうやらことはミリタリーに限った話じゃないみたいですな。
読み手というか受け取り手の「知っている知識」を使って見せる手法とでも言いましょうか、落語や古典芸能やら果てはパロディーまで、世の中には「知っているとなお楽しめる」という技法があり、ミリタリー小説の武器群はそれを使うことで楽しみを付加している、と。(まあ単純に「カッコイイ武器が出てくると面白い」ってのもあるんだろーけど)
で、ここまでが利点。「知っている」知識で楽しませる方法には大きな弱点があるわけだ。
それが「知らない人にはまったく面白くない」ということである、と。
確かに全員が知っていれば済むことなんだが、それは逆に言えば、知ってなければ駄目、門を制限した「狭い」範囲での楽しみ方になるわけですな。
「わかる人だけわかればいいじゃないか」それは確かに正しいかもしれない。でもその媒体が「広く」楽しませるためのものであればあるほど、「わからなくても楽しめる」部分を増やしておかねばならんわけで。
結局、ミリタリーだろうがなんだろーが、内輪向けのもの「だけ」で良い物は作れないってーことじゃなかろーか。や、まあそういう「兵器解説部分を読む」ために買う人がいるってーのとは別の話。そーゆー読み方まで否定する気はない。
HUNTER×HUNTER11(冨樫義博)
NARUTO6(岸本斉史)
あーと今日は最近まで勘違いしていたという話。
さてさて、世の中には「ミリタリー小説」ってージャンルが存在する。正確にはそういう要素を「色濃く持った小説」が多数あるってーだけだが、まあわかりやすいのでミリタリー小説と言っておこう。
で、拙者はこの「ミリタリー」という要素が今までどうしても理解できなかったのだよね。
えーとどういうことかというと、拙者は小説内で出てきた武器のスペックとかには全然、まったく、恐ろしいほどにこだわりがないわけだ。
「アサルトライフルはM4A1」「M4A1はフォールディングストックで携帯性が良いし、M−16シリーズで扱いやすいけど、射撃時の安定性には欠けるんだよなぁ」
などと言われても、「撃てればいーじゃん」「壊せればいーじゃん」と考えているため、そーゆーモノに詳しいミリタリー小説とか読んでも、さっぱり面白くない。
拙者にとっては「M4A1を腰だめに構え」ようが、「マシンガンを腰だめに構え」ようが、一緒なのだよね。
今度は逆に考えてみる。「ミリタリー小説にそんな詳しい兵器解説やらが載ってるのってどういう意味があるんだろー?」
で、周りの人に聞いてようやく納得した。この詳しい兵器の羅列ってーのは、ミリタリー小説における「文章表現と同等の効果」を持つんじゃないかなーと。
「ファンタジーで、毎回毎回使う呪文はファイヤーボールばかり」
さてさて、ミリタリー要素がめちゃくちゃなミリタリー小説ってのは極端な話、こういうものではないかと思ったり。
毎回毎回、使う呪文はファイヤーボールばかり。どんな状況でもファイヤーボール。どんな威力でもファイヤーボール。馬鹿の一つ覚えの如くファイヤーボール。
えーとどういうことかというと、ミリタリー小説の「兵器の詳しさ」「兵器の豊富さ」ってーのは、その兵器を理解する人にとっては生半可な「文章説明」よりも説明になっているんじゃないかってーことです。
たとえば「多数の敵に武器で攻撃する」ってー状況の場合、文章表現ならピンチのときはよりピンチらしく、攻め入ってるときはよりガンガンとした表現を使用するわけですが、これが「武器の種類」をわかっている人には「弱い弾をパラパラ撃ち出す武器を持っている」ならピンチに、「強い武器をバカスカ撃ちまくっている」なら攻勢に見えるんではないかと。
や、こう考えるとなかなか面白い。そうやっていかに「適切な状況に、通好みの武器を持ってくるか」がミリタリー小説家の腕の見せどころであり、そうやって出てきた兵器の使い方を理解して共感するのが「ミリタリー小説好き」の醍醐味だってーことじゃろか。
ってーわけでとくにまとまりのないまま終わる。できることなら掲示板にて意見、反論を求む。
フリクリ3(榎戸洋司)
リスキー・ダイヴ2(後池田真也)
ハネムーンサラダ3(二宮ひかる)
狼の瞳(岩原裕二)
低俗霊DAYDREAM1(目黒三吉)
そろそろここの戻るネタも尽きてきました