鬼術(キジュツ)つまり日記のページ
勢い任せの5月
人をコケにする6月
すべてがネタになる7月
寝る子は育つと信じてた8月
むしろ駄目なものほど愛する9月
常識などというものが崩壊する10月
もはやここの文章は適当になってる11月
はいこんにちは、泥皇の法律相談所のお時間です。
本日の質問はこちら、「勝手に届いた新聞紙」
えーとあれは11月の半ばでしたでしょうか。ていうか終わり頃。
朝になったら新聞が届いてたんですね、仮に読み捨て新聞としておきましょう。
で、その読み捨て新聞、頼んだ覚えがないんですよ、というか簡単にいっちゃうと契約していない。なんの前触れもなく読み捨てが新聞受けに入っていたんです。
なんだか恐いので、そのまま放って置くことにしました。
ところが、次の日になってもその次の日になっても新聞が届く。4日ぐらい連続で。
玄関邪魔ー。
そう考えた拙者はとりあえず玄関前の新聞を片付けることにしまして。
で、それがずっと続くわけですな。
その頃になるとなんかこっちから新聞社に連絡するのが恐くなってきましてね。処分するのも恐くなってしばらく貯めておくことにしました。
んで、今日。
「毎度ー、読み捨て新聞ですー、集金に来ましたー」
んー、どうすればいいんでしょう?こっちゃサンライズ新聞(仮)を取ってるために新聞いらないし、何より契約しておらず読んでもいない新聞の金を払う必要があるんだろーか?そういうわけで聞いてみました。
「えーと契約してないんで、そっちで調べて貰えますか?」
しばらくして返答。
「ああ、すいません契約は確かにこっちの不手際です」
よっしゃよっしゃ。
「で、ですねー。とりあえず今月分の新聞代は払ってください」
うえ?
むむう、こういう場合って払わないといかんのか?
違う気がするなあ。
もし払わなくても良いのだったらこっち大損じゃねえか。契約してないのに払うってのはなあ。
とりあえずこう答えました。
「契約してないのを払う気はない」
相手はかんかんです。電話がかかってきました。ここ数日は電話に縁があるな。
「なんやとコラ!!どうして払わんのじゃ!!きちんと払えや!!ああぁぁあ!?」
本気でこう言われました。ちびりそうです。
でもまだよく理解できてないのでここで言われるままに払うわけには行きません。
こっちも払う必要はないんじゃねえのかと言いました。
相手が喧嘩腰なため、こっちも売り言葉に買い言葉です。段々険悪な雰囲気です。ていうか喧嘩直前です。会話内容だけなら全部喧嘩です。
もうちょっと落ち着いて、「法律として理解できる説明がない限り払うのは待っててくれ」とでも言えば良かったのですがもう止まりません、お互いに。
相手が言いました。
「よーし、そんなら払わなくていい、ただし今まで配達したモノ全部返せ」
無理を言われました。全部は返せない(16日分は返せる)と言うとじゃあ金払えと言われました。
押し問答です。
いい加減やりあってどっちも疲れたため、どちらともなくとりあえず「お前が払うまで集金に行き続けてやる!!」「来るなら来てみろ!絶対払わねえ!」という形で電話が切れました。別に払わなくちゃいけないということが証明されれば払ってもいいんですが、この別れ方は最悪です。感情は人を狂わせます。
そういうわけでいつ来るとも知れぬ新聞集金人に脅えております。
で、こういう場合は払わなくちゃいけないんでしょうか?
もしくは泥皇が払うに納得の出来る理由が欲しい。
どなたか教えてください。
っていうか泥皇が相談するのか。
昼近くまで寝ていました。
電車に揺られて帰りました。
日記を少し書きました。
めんどうくさいのでネットやって寝ました。
コミケです。
とはいっても初見学。
よくわかっておりません。
だいいち昼まで寝てたし。
ともかくゆりかもめに乗って東京ビッグサイトだとかいうところへGO!
うわー海が綺麗ー。
とかなんとかやってたら着きました。
有り難う、通りすがりの人。
「あ、この人多分コミケ行くな」と思ってついてったらたどり着けました!!
世の中って便利ですね。
そんなこんなで会場です。
なんかたくさん人がいます。
変なカッコしたオニィちゃんやオネェちゃんが歩いています。
すごいところなんだなー。
↑こういう認識をする拙者がそこに居ることになんらかの違和感を感じるのは間違っていますでしょうか?
よくわかりませんが本気でたくさんの人がいるそうです。
思わずこう言いたくなりました。
「今日は、皆さんにちょっと殺し合いをしてもらいまーす」
思う存分バトルロワイアりましょう(違う)
ともかく進みます。奥へ奥へと導かれるままに、誘われるままに、人の流れにただ乗って奥へ奥へと。
……ここどこだ?
えーと結局夏江小太郎ことナッチーの本しか買わなかったわけですがっていうか他の知ってるサークルなんて見つからねえよコンチクショウ。
こここここわいところダヨーぶるぶるぶるぶるぶるぶる。
まあそういうことはすっぱり諦めて、サークルだかブースだか名称はよくわからんがテーブルごとに人間観察をしてみたりなんぞする。
いや、これがなかなか面白い。
聞きかじりの知識だと、えーと会場の壁際にある「外周」とかいうののテーブルが有利っぽいのだが、外周にいる「だけ」ではどうしようもないのだよね。
大手サークルとかいう「最初から集客が見込める」のを度外視した場合、当然必要なのは「いかにして目を引かせるか」が重要なわけで。
えーとあそこでは呼び込みみたいなのは禁止されてるのか?まあされてないにしてもそういうことができなさそうな雰囲気なので、「目を引かせる」というのはそのテーブル内でやるしかないわけだ。
そこで「なんか紙に絵を描いたりして目を引かせる」とか「変なカッコする」とか「本の表紙をかっこいいものにする」とか「とにかく目立たせる」とかやるわけですなー。
そういうのの、たとえば紙に絵を描いて目立たせる方法ひとつとっても、「思いっ切り美麗なんだけど色が薄くて看板としての役割はマイナス評価」だったり、「特に上手いというわけではないけど線や色がハッキリしていて『看板』として非常に効果が高い」とかいうのがあったりして、やっぱり「見せる」方法にもいろいろあるんだなーとか思いましたですよ。あとは本の並べ方とかもな。
まあともかく、「テーブル半個という制限された空間の中で、どれだけ自己を表現できるか」というのも重要なんじゃないかなーと思ってみたり。
単純に、
A・テーブルに本を置いて座っているだけ
B・見やすい表紙の本を立てて置き、サークル名がすぐに判別できる看板を横に置いてある
この二つのサークル、まったく同じ本を扱っていたとしても随分違うんじゃないかなー。逆に言えば、Aがどんなに優れていても手に持って見て貰える率というのは圧倒的にBが上なように感じましたが。
そういうことをせずに「内容だけをみてくれ」とか言うのもちょっと違うんではないかな。
見て欲しいなら見せるためにちょっとひと工夫してみてはいかが?
という素人の目から見たお話。
さて、その後は第二次オフ会。
今度は食い放題です。
食い過ぎました。
以上です。
帰り道だかで、とある方が言いました。
「泥皇さん、日記ネタがたくさんできましたね!」
ええ、できましたとも。
とらいあんぐるハートの紙袋を持って街中を堂々と歩き回るアナタたち3人とかね!!
とらいあんぐるハート:パソコンのゲーム名。異性と手を繋ぐのも恥ずかしがるようなちょっとロリ気味な女の子達が惚れた主人公のために全裸になってここでは言えないようなことをしっかりやってしまったりするためになんか萌える人が多くて大人気なゲーム。えーとよくわかんない人は街中でカードキャプターさくらとかセーラームーンの紙袋を持ち歩いたりしているようなモノだと思えばいいです。その恥ずかしさを上回る行為だと考えて良い。18禁ゲームだし。みんなで移動中、拙者はさりげなく団体の真ん中にいたり衆目からずれた位置を確保しつつ歩いていたと言うことは内緒です。
東京です。
朝の五時から電車に揺られてがたんごとん。
昨日の電話がかかってきたのが午後10時。それから寝るに寝られず朝までチャット、電車に揺られること7時間。
なんだか泣きたくなってきたけど負けないみゅう。
ごめんなさい。
さておき、とりあえず東京です。駅のホームにて待ち合わせ。
あ、あそこにいるのが爺三(仮名)殿でしょうか?
んー、多分そうだろうけど自信ないなあ。よし電話かけてみよう!
ぷるるるるるるるるるる。
「俺(おり)だよ〜(くねくね)」
いやそのネタじゃなくて。電話。
ぷるるるるるるるるるる。
「はい爺三です」
「えーと泥ですー、わかりますかー?」
「あ、わかりますー」
いやー、さすがに5メートル先の相手に公衆電話をかけるのは勇気が要りましたよ。
そういうわけで爺三殿(仮)と子埋め(仮)殿との邂逅です。もう一人いますが初対面ではないのでネタにはせず。
どうにもこうにも腰が低い爺三(仮)殿とやけに堂々としているような子埋め(仮)殿のコンビ、えーとまあいいやともかく行きましょう、バトルロワイアルに。
いや拙者達がやるんじゃなくて。
で、感想。
桐山と七原と杉村がかっこ悪さ18%アップ。
川田章吾と言うよりも山本太郎かっこよさ37%アップ。
北野武いい人っぷり48%アップ。
全体的な感想としてはバトロワじゃないけど面白いからいいや。
その後喫茶店でダベる。
誰だ、あずまんがロワイアルなんて言い出したの。
夕食は別団体とオフ会です。
えーと内輪ネタを割愛すると、なんだかずっと食っていたような気がする。
ついついチャットのようにボケてしまいそうで大変でした。
ともかく皆さん有り難うございました!(心をこめつつでも目を逸らしながら)
本屋へ行く。
ドラマガを読んだわけですがなんですかあのえーとらぶまほ(むしろ正しい間違い)
あの小説における最大の問題点は「主人公の馬鹿さ加減」というところにあると思った。
ていうか枯れかかった木を治療するために生涯に3回ぐらいしか使えない魔法(使い切ると死ぬ)なんぞ使うなと言いたい。いやそれ以前に周りの人にこう言えばいいでしょう。
「なあ、ちょっとあの木治してやって」
それともあの小説は
後先考えないただの馬鹿と
自身を犠牲にする優しさ
の区別がつかないんでしょうか?
もしかして全部承知した上でのギャグ小説?すごいや!!
ついでにスニーカー文庫をざっと見る。
えーとこういう馬鹿分析みたいなものを長く続けていると表紙を見るだけでここでネタにできそうな小説というのがわかってきたりします。
プリズムハートとかいうのが今回の地雷な模様。
とりあえず中身確認。
・売りあげを伸ばすためだけの裸体ピンナップ。
・最初の数ページ、『小説』なのに延々とキャラ対談が続く。
ひゃっほう、大当たりです。
でもツマんなさそうなので買わないことにした。
などというのはさておき、明日からコミケだかバトロワだかオフ会だかそういうののために東京へ行くことになっているためさっさと寝ている拙者のところへ一本の電話。
ぷるるるるるるるるるるるるる。
「あいー、もしもしー?(←寝起き)」
「もしもし泥皇くん?俺(おり)だよ俺(おり)、誰だかわかる〜?(くねくね)」
…………。
…………。
…………。
…………。
緊急警報!緊急警報!「ヤツ」です!!
コードネーム「7月13日の悪夢」からの挑戦状です!!(その日の鬼術参照)
ひぃくん出現!!ただちに戦闘配置につけ!!
一瞬で脳内の小泥皇プログラム10000体が目覚めましたが、ここであからさまに戦闘態勢に出てはまずい。まだ寝ぼけているフリをして応戦です。以下、心の声を毒10%アップしてお送りします。
「あー、わかる……」(わかりたくなかった)
「あ〜よかった、忘れられてたらどうしようかと思ってたよ〜(くねくね)」
「…それで、なんの用?」(忘れさせてください)
「いや泥皇くんとなんとなく話がしたくなってさ〜(くねくね)」
「あっはっは、それはいいけど拙者と話したいなら成長してから来いと言ったはずだが。成長できたの?」(それは多分無理だと思います。つまり「もうかけてくんな」に等しいわけで)
「うん、もうバッチリだよ〜(くねくね)」
耐えろ、耐えるんだ泥皇。
被弾率15%!出力低下!!腕部パーツ、機能障害が出ています!!
「……で、今は何やってるの?」
「あーそうそうそう泥皇くん聞いてくりよ〜。俺(おり)今名護屋で一人暮らししてるんだよ(くねくね)」
「へえー、よく家から出られたなー、一人暮らしは禁止されてたんだろ?」(お、とうとう自立か。その点だけは褒められるかも?)
「いやー、家から追い出されちゃってさ〜(くねくね)」
駄目です!バリアの損傷が激しすぎます!敵の矛盾理論に対応できません!!
くそっ!何故だ!ヤツは禁止されていたんじゃなかったのか!?
……はっ!「家族に禁止されている」のはもしかしてヤツの妄想で、実はただ単になんやかんやと理屈をつけて家から出るのをゴネていただけだというのか!なんてことだ!!
「でも今は大丈夫だよ〜だってちゃんと日ナレにも行ってるしね!(くねくね)」
「……えーと日ナレ3年目だっけ?普通は2年で卒業するんだよね?」(留年ってまで声優目指してるのか……「アニメ好き」っていう理由のためだけに……)
「うんそうそう、まあ俺(おり)も今年は頑張ってたからね!(くねくね)」
「いや、行って卒業するだけで声優になれるのなら誰も苦労はせんと思うんだが」(で、どこが成長なんでしょうか?)
「まあでもキツイからねぇ、俺もまあ大変だったわけでさ〜(くねくね)」
「ははあ、大変だったんだねえ」(ただの言い訳かよ)
「ラブひな終わっちゃって今見るのなにも無いよなー(くねくね)」
歪曲力場発生!!駄目です!脈絡のない話題転換に会話能力がついていけません!重力制御不可能!衝撃、来ます!!
「あ、あー、そうなんだ、でも拙者ラブひな見てないからなー」
「トライゼノンは面白いけどね、俺(おり)いっつも見てるよ〜(くねくね)」
ツライゼノンと歪曲力場の同時攻撃により第3砲台、沈黙!!こちらの攻撃が90%封じられました!!
ツ……ツライゼノンを本気で見ているだと!!馬鹿な!ありえん!!あんな攻撃があってたまるか!!
「…えーと、トライゼノン、どこが面白いの?」(ここの11月4日に書いたことそのまんまだったら恐いよなー)
……!?大変です!!敵の内部エネルギーが急速に高まっていきます!60…90…150…駄目です!間に合いません!!
「えー?だって巨大ロボだぜー?あらいずみるいのキャラいいよね〜(くねくね)」
…………。
…………。
…………。
あとのことはよく覚えていません。
虚ろなまま応対を繰り返し、逃げるように電話を切ったことだけはわかります。
ただ。
ひとつだけ。
これを読んでいる皆さんへのメッセージがあります。
いつ、いかなるときでも。
「彼」にだけはなってはいけない。
以上です。
ラグナロクEX3(安井健太郎)
RED6(村枝賢一)
イヌっネコっジャンプ!2(はっとりみつる)
カードキャプターさくらの最終回を見る。
あー拙者も娘欲しいー。
そんで突然やってきた娘の恋人に
「どこの馬の骨とも分からない奴に大事な娘をやるわけにはいかん!」
とか言いてえー。さらに
「お父さんなんか大ッキライ!」
とか言われるともう完璧です(何がだ)
さて今日のネタは「六門天外モンコレナイト」こちらも最終回であります。
んー、なんというかアカホリズム大全開なお話。
簡単なあらすじとしましては
「なんやら強大なラスボスを倒すためにみんなが次々集まってきて、六つの属性とかいう力を一つにしたらもの凄い味方モンスターを召還できました。さらにその味方モンスターにみんなの力を集めて最後の一撃を放ちラスボス撃沈。めでたしめでたし」
で、最後に当初の目的「モンスター世界と現実世界を繋げる6つの道具」を集めるためにまた旅に出るというオチがつくわけですな。
えーとアカホリ系作品というのはとかく人気狙いの駄目作品と言われ続けてまあ拙者もここでさんざっぱら駄目な部分を挙げてきたわけですが、アカホリ作品にも当然「良い部分」とか「優れた部分」というのは存在します。その一つが「燃えるシチュエーション」というやつ。
過去のアカホリ作品でいうと「なんか主人公が女に囲まれてハーレム状態だぜ!萌え〜」とか、「女に主人公がそっと見せる優しさ、燃え〜」とか、そういう「状況」を見せるのがとても上手い。
今回の最終回でも
「主人公が今まで関わってきた全ての人達が、その世界を守るために、なにより主人公達のために集まってきてくれた!」
「みんなの力が集まったら奇跡が起きて、伝説のモンスターを召還できたぜ!」
「みんなの力を集めて最後の一撃!悪い奴をやっつけろ!」
そういう状況に「持ってくる」から感動させることができる。決して感性のままに作ってるから感動させるわけではなく、感動させるためにそういうシチュエーションに仕立て上げているから感動することができる、と。
いやまあ「どうして呼んでもいないのに危機を知って集まってきたのか」とか「どうやって敵対してきたキャラまで呼んだのか」とか「どうして集まっただけで伝説のモンスターを召還できるのか」とか「今まで名前すら出てなかった伝説モンスターがなんで出てくるの?」とか「みんなの力を集めたからってどうして現実の攻撃力まで上がるの?」とか「結局ラスボス側の言い分というかラスボス側にとっての正義というか行動の動機はなんだったの?」とか「ラスボス側はただの『悪い奴』扱いで殺されてるじゃん」とかそういう部分を全く無視した
もの凄く薄っぺらい感動なわけなんですが。
一点以外はカスでもそれを最大限まで特化すれば使えるモノになると言うことでもあり、
一点が優れていても全体を上手く創造することができなければカスだと言うことでもある、
今日はそんなお話。
そういうわけで今日は真・チョッパーの日です。ああ、もっといい日だ本当に(うっとり)
「だっでごの世に゛…
治ぜない病気は
ないんだがら゛!!!!」
さてさて、素人がモノを作る時は感性だけでやってもいいモノができん、というのはさんざ言ってきたことだが。これ、逆に言えば
・一定の技術を使えば一定の効果が見込める
ということでもあるわけで。
まあ技術を使えば確実に効果が発動するってーわけでもないけど、
・なんらかの効果が起こった場合は確実にその効果を起こすためのモノが使われている。
これだけは覚えておこう。
たとえばHPのデザインひとつとっても、いろんな効果を起こすためのギミック、てーかまあ簡単に言うとデザイン、そういうものが使われているわけで、たとえばここの「目次ページ」ならば
カウンター以外は全て白黒のデザイン
・「多色」での強調を無くし、シンプルさをアピール。逆に「黒」部分を強調。
タイトルのみ基本文字サイズ。コンテンツの文字サイズを大きく、その他の文字を小さく
・タイトルを右上隅に追いやることによって逆にタイトルを「みつけさせる」効果を持つ。コンテンツ名を大きく、マウスの動かしやすさを考えて。さらにそれ以外の「一回見れば必要ないモノ」「目立たせる必要のないモノ」を小さく表示することでタイトルとコンテンツのみが目次ページに存在し、小文字はそれに付随する情報としての扱いになっている
無闇な当て字のコンテンツ名+読みガナの小文字
・普段あまり目にしない語(造語)を見せ、興味を引かせる。さらに小文字の情報としてカタカナで読みガナを振り、意味をわからせる。
コンテンツの配置
・最上段から左→中→右→左という法則性にみせかけておいて途中で法則をズラし、変化を持たせる。さらにカウンター部分をコンテンツとして数えた場合には左列三つ、中列二つ、右列二つのピラミッド型配置でバランスをとっている。
えーとこんな感じ?このうちどれとどれが成功したかなんてよーわからんが、少なくとも拙者はこういう効果を「狙って」作っているわけだな。これが
いい加減にしてください泥皇さん 紹介 記述 掲示 ・ ・ ・ ・ ・ ・ |
とかだったら面白味もクソもない、と。(まあ敢えてそれをやるという方式もあるが、それも「何もしない」ということでなんらかの効果を狙っていなければ無駄なわけだ)
さてそういうわけで、HPを持っている人に問おう。
さらに、小説家を目指している=文章表現の技術が必要な人に問おう。
その他全ての「創作」をする時に問おう。
「どういう意図でそう作った?」
今日はこれまで。
余の名はズシオ4(木村太彦)
神さまのつくりかた。11(高田慎一郎)
そういうわけで今日はチョッパーの日です。ああ、いい日だ本当に(うっとり)
「まったく!いい人生だった!!」
それはそうと今年は一人寂しく過ごすべえと思っていましたところやってきましたよあの人が!
母親、襲来。
いやアンタこんな日に父親ほっぽって来ていいんか。
そういうわけでどういうわけだかよくわからんが部屋の片づけをしてくれました有り難うございます。
ともかく夕食でも食いに行きましょうか。母上サマ何がよろしいでしょうか?いや金出すのアナタですけど(爽やかに)
「えーとねえじゃあ今日はクリスマスだから」
ええ、そんな日にこっちに来るのはどうかと思いますが今日はクリスマスですね正確にはイブですが。で、何を食いたいんでしょうか?
「ウナギ食べよう、ウナギ!」
……。
すいません母上サマボクちょっと今キング・クリムゾンの攻撃を受けていたようです。クリスマス→ウナギに繋がる部分がすっ飛ばされてしまったみたいですよ?
ご馳走様(ぺろり)。
封神演義23(藤崎竜)
「年末」じゃん、今。
ミルククローゼット2(富沢ひとし)
あー、簡単に言い過ぎちゃったので補足ー。パンドラの箱に残ったのが希望ってのはこういう解釈の仕方もあります。
未来が見える→夢も希望もあったもんじゃない
未来が見えるものだけ箱に残った→希望が残った
つまり「未来が見えてしまう」災厄だけは防げたという解釈ですな。
でも他の災厄を回避できるわけではないのでどっちにしろタチ悪い話だと思いました、まる。
そんな奴ァいねえ!!6(駒井悠)
シークエンス・パラディウム(篠崎砂美)
おいしいコーヒーの入れ方5(村山由佳)
粛正プラトニック1(秋口ぎぐる)
スレイヤーズすぺしゃる16(神阪一)
シャーマンキング12(武井宏之)
えーとパンドラの箱というものがある。簡単に言うと108個のなんか災いが解き放たれたら一個だけ箱の中に残った、それは希望だったって話ですな。
108うち107個までが災いだけど、「一個だけ希望が残ってる」と言うならなんかパンドラいいやつじゃんとか思ってしまうのだけれども(いやまあ正確にはパンドラは開けただけなんだけど)、実はこれ、考え方を変えるとすげえタチ悪いよなーと思う。
えーとつまり希望が残ったってーのは可能性の話ではないかと。そこに残ったのがなんなんだかよーわからないウチは「まだ全部災いだと決まったわけではない」、つまり「希望」であると言えるのだが、それって裏を返せば「諦めるに諦められない状況」なんだよね。
戦隊モノでヒーローがやられて大ピンチ、でも博士が新兵器を開発してくれている、みんな頑張れ最後まで諦めるな希望を棄てずに!!
でもそれは「博士が来なければ即死亡決定」なわけで、希望は残ってるだけではなんの役にも立たない。来て欲しいのは「博士の秘密兵器」だけ。
えーと希望って言葉はつまりアレですか。生殺し?生かさず殺さず。パンドラの箱作った人は頭いいなあ。希望だけ残してじわじわいたぶるんですね。
希望バンザーイ(嘲笑)。
ところで今年は20世紀最後のクリスマスだそうで。ほへー。
あれ?
去年は千年代最後のクリスマスだと言っていたような。
一昨年は地球最後のクリスマスだと言っていたような。
……。
来年は2000年代最初のクリスマスですか。それはめでたいなあ。
あーと、感覚だけで何かをする、というのはこういう意味だと考えればよろし。
何も考えずにやる。
はいじゃあバット持ってー。
「バットを振ってみましょう」
考え無しに振る素人のフォームはめちゃくちゃだけど、良いフォームがどういうものか自分なりに考えながら振る素人は(多少間違ってても)それなりのフォームでバットを振る。
そしてプロは良いフォームでバットを振る練習を何千何万回と繰り返しているのだから、自分なりの打法=正しい意味での「感性を発揮できる」フォームで振ることが出来る、と。
ただ振るだけでは何万回振っても意味がないわけで。
さて、いつだったか「じゃあどうすればいいんだよ」そんなことを言ってきた人がいた。この場合は「それではどういうフォームでバットを振ればいいんだ?」とか「その方法が駄目なら優れた方法を教えなさい」と言ったところか。
その時拙者はにっこりと微笑みながらこう答えてあげました。
「知るか馬鹿。そんなことテメェで考えろ」(意訳)
ふむ。拙者の言ってる意味がわかるだろうか?
じゃあ拙者が天才バッターで、ものすごい強力な打撃フォームを持っているとしよう。
んで、そこいらのガキにそのフォームを正確に教えたとする。
そのガキはフォームを忠実に再現できるようになった。すげえぞ、いやっほう。
でもそれだけ。
そのガキはそのままだと絶対に成長しない。ずっとやってりゃ体力だけはつくだろうが、そのフォームの本質はずっとそのまま。
何故ならそのフォームの仕組みを全然理解せず、ただ使っているだけなのだから、フォームをわけもわからず使用することしかできないわけだ。ボール球でも常にそのフォーム。高めの球でもど真ん中でも、そのフォームに対して絶大な力を発揮するような変化球でもずっとそのフォームを改良することもせずにバットを降り続けることしかできないわけだね。それでそのガキはまた言うわけだ。
「畜生!なんで当たらないんだよ!!」
そしてまたそんなことテメェで考えろを繰り返すわけだな。
技術や知識や道具でも技でも、どーいう理屈でそういうふうになってどーいう効果があるのか、それを「自分で」掴んでいないと全く意味がない。
さて、「まだ足りない部分はある」ということを差し引いての話ではあるが、拙者はこのHP内にて「駄目なモノ」を指摘するとき、どこがどう駄目か散々書いてきたつもりである。
「このフォームじゃ踏み込みが甘いから駄目だ、踏み込みは飛距離を伸ばすからな、これだと全然飛ばない」
これを逆に考えてみよう。「飛距離を伸ばすには踏み込みをもっとしっかりすればよい」となる。
そういうことを考えずに「じゃあどういうフォームで打てばいいんだ?」とか聞かれてもなあ。
「じゃあどういう踏み込みをすればいいのか?」こう考えなくてはいけないわけだね。それを自分で考えれば完全に自分のものになるし、周囲の情報、この場合は拙者の文章をよく読めば答えは出るはず。
まあ良いフォームと理屈の両方を教えればそんなことなんとかなるんだろうけど、「自分で考える」ということをしなければ考える力そのものは上がらないし、ていうかテメェで考えもしないヤツに教えてもツマんないし(本音)
名探偵コナン30(青山剛昌)
ARMS15(皆川亮二)
んー、大学でちょっと談笑。
ええい、「自称妖怪好き」が妖怪についての知識を鬼太郎だけで済ますんじゃないっ(爆)
っていうか妖怪について語るなら図画百鬼夜行ぐらい調べなさい。
そんなわけで図画百鬼夜行サイト二つ。
ではでは。
百鬼灯籠
百鬼夜行
別に知られても構わないんだけれどまあどうせなら知らせるよりは秘密にしておいてこっそりとほくそえんでいたいなーとかそういう状況ってのは往々にして発生したりするもんですよええ。
(意訳:いろいろバレて悔しい)
さて世の中にはいろいろ危険な知識とか知るといろいろな不幸が待ち受けている知識とか経験というものがたくさん存在するってーのは理解してもらえると思う、いわゆるあれだ「ああこんな事知らなきゃよかった」恋人に二股かけられていたりガンだと宣告されたりテストの平均点が自点よか上だったりまあいろいろとあるだろう。
そうやって知ってしまったこと自体を幸と考えるか不幸と考えるかなんてその人次第なわけだからどーでもよかったりしてというか結局のところ知識なんぞ理解して組み立てないと意味なんてないものだしー。
いやまあいいやそんなことそれよりチョッパーチョッパーああチョッパーうわー可愛いー!
チョッパー!!ちなみにオチはない。
獅子は我が子を千尋の谷へ突き落とし、這い上がって来た子をまた突き落とすという。
そうして這い上がって来た子をまた突き落とし這い上がって来たらさらに突き落として、弱り切ったところでトドメを刺すのです。
そうですこれは親と子の戦いの記録。
胎内で子を孕み産んだ母親と違い、設計図こそ折半であるモノの建築は全て業者任せ、自分は着工から完成まで手伝うことも出来ずにただ建築業者の働きを労るだけの父親は出来上がった家を見ても自分の家だという実感が湧かず、作品であるところの「子供」に対して常に「こいつ本当に俺の子か?」というある種の疑念を持ち続けることを心理学用語でえーとなんだっけまあいいやそろそろ分かんなくなってきたしまあともかく「作った実感」というものがない父親にとって子供は、「作られた実感」というものがない子供にとって父親は、心の何処か一部分で互いに相手を「敵」と思ってしまうわけですな。
それはともかく。
さて、「敵」と言う言葉をまずは辞書で引いてみよう。本当は三つ以上の辞書で引くのがいいんだけど与太話にそこまで手間をかける気もないので一個だけにしておく。だってめんどいしー。
三省堂の新明解国語辞典四版では、「敵」の定義を
としている。えーとつまり「敵」というものを、「なんらかの目的を達成するための障害」として位置づけているわけだな。ぶっちゃけていえば障害で「しか」ない、という解釈を含んでいる。
……拙者の考える「敵」と言うのとは若干意味合いが違うよなーとか思う。
いや、日本語の使い方として間違ってるとか言う気ではなく、「敵」というものの解釈の違い、とでも考えればいいんだろうか。拙者の思考で行くと、敵というものは早い話が「ぶつかってナンボ」だということ。
えーとじゃあ設定をわかりやすくドラゴンボールの天下一大武会にでもしようか。
国語辞典の理屈で言うなら、敵は天下一大武会で優勝するという目的を通すための「障害」でしかない。
これを言い直してみよう。
「障害さえなければ目的が達成できる」
この場合は別に「敵」がいる必要はないのだよね。言ってしまえば出場者の食事に毒でも盛れば、主人公の優勝。「目的を通す」ことができるわけだ。
ではでは拙者の……というか「もうひとつの」理屈でいう「敵」とはなにか?
それは「倒すことが目的の敵」なのだよね。
悟空の名ゼリフにこんなものがある。
「うっひゃ〜、おめえ強ぇな!オラわくわくしてきたぞ〜」
敵というものを単なる障害と捉えずに、ぶつかることそのものを楽しんでいる。これが悟空にとっての「敵」なわけだ。
もちろん敵を憎んでいる場合にもこれは通用する。敵を憎んでいるならば、そのまま「敵を倒す」ことが目的になっていればいい。
まあこんなことをうだうだ言うのは、別に本当の「敵」の定義を考えようと言うわけじゃーなくて、つまりは戦うことの楽しみには敵が欠かせない、ということを言いたかったわけだ。
別に格闘だけが戦いだってーわけじゃなく、スポーツだろうが弁論だろーがゲームだろうが、相手が壁でもコンピュータでも自分自身でも、
「強い相手と戦って勝つ」
これが一番面白いことなんじゃないかなーと思ったり。
まあ人生のどこにだって戦いはあるんだから、どうせならいい敵に巡り会いたいもんですな。
ちなみに戦ってもレベルが低かったり戦う意味や価値が全然無いような存在は敵じゃなくて、邪魔とか雑魚とか言うんですよ、という意味も含んでいたりする。
なにやら本屋でこんな宣伝が。
「今エヴァンゲリオン6巻を買うと特製ブックカバーが付いてくる!」
まあどっちにしろ買う。
ただの紙に絵がプリントされているだけのもの。
今はバナナの皮と一緒にゴミ箱の中。
さてさて今日は趣味の話。
「バトルロワイアル」という拙者の好きな小説が映画化されたわけだ。
文部省やら15禁、そんなこんなで「注目映画」になってしまい、おかげで少し見る気が失せてしまったが、それでもやはり観に行きたいということには変わりがなかったりする。
注目されれば周りが騒ぎ出す、それが世の中の常。
相次ぐバトロワファンブック。作者が出張ったものからおこぼれ狙いの謎本まで。
結局やっていることは作品内で「語らんでもいい」ものを無理矢理外に出しているだけで、どーでもよかったりするわけだ。
そんな中、たった一つだけ。
バトロワカードゲーム。
こういう物を待っていた。
中身は数十枚1セットのカードゲーム。昨今の箱買い狙いのトレーディングカードではなく、純粋なそれ単体「のみ」で遊ぶためのカードゲーム。
さらにはそのカードの作り。
無論、商品というものは売れてナンボであるから、売れるような付加価値を付けるという戦略は間違ってはいない。売りたい映画にはジャニーズを登場させるし、売りたい漫画には可愛い女の子を出す。ツライゼノンに林原めぐみだって「アリ」ではある。
しかしこのカード、別に映画の1シーンが描かれてるわけでもないし、著名なイラストレーターが絵を描いてあるわけでもない。ただカードの種類がわかる程度のイラストが、申し訳程度に添えられているだけ。
どういうことか?
バトロワ「の」カードゲームということなら、どう考えたって七原秋也のキャッチや川田章吾の発砲、桐山和雄のサブマシンガン、そんな場面を付ければいいのに、このカードゲームはそんな部分ではなく、一番大事なところだけで勝負しているのだ。
即ち。
バトロワのカードゲームで「遊べ」。
購入決定。
D4プリンセス4(原田将太郎)
エルフを狩るモノたち16(矢上裕)
ヘブンズゲイト(門井亜矢)
今日はいろいろ失敗をしてみたり。
意図する点は同じでも伝え方次第で伝わり方も変わる。
それを上手く使いこなせないのって結局自分の責任なんだよなーとか思ったり。
まあその件とはまったく別の話で、上手く使いこなせないのを受け手の責任にするような人とは話すのも苦痛だったり。
「言葉は武器だ」というのをどっかで聞いたことがある。
「敵を倒すのに大きな力を持つ」という意味にもとれるし、「現実の武器と同等の力がある」と取ることもできる。
逆に「扱いを間違えると怪我をしたり怪我をさせたりする」ということにも取れるよなー、と。
いやはや。
無頼伝涯3(福本伸行)
新世紀エヴァンゲリオン6(貞本義行)
さてさて、チャットとかで「小説の書き方」みたいなことについて話してると、たまにこんなことをのたまいやがりなさる方がおられます。
「小説とは感性で書くものだ」
「文章よりも中身で勝負!」
ついつい画面の前で大爆笑。
ひとしきり笑ってから改めて思うのですがこーゆー人、実は結構たくさんいそうで無茶苦茶恐くなってきたりして。
はいはいそこで「えっ、違うの?」とか「小説なんてどんどん書いて感性を磨くことが重要なんだよっ!」とか「SSを書くときにはとにかく書いてみるのが正しいんです」とか思ってる人手を挙げてー。
小便はすませたか?
神様にお祈りは?
部屋のスミでガタガタふるえて命乞いをする心の準備はOK?
さて、じゃあ逆に考えてみましょう。
「感性だけでモノが作れるか?」
もちろん答えはNO。小説に限らず、アニメや映画や建築やともかく全ての「作る」という物事において「感性だけでモノが作れる」なんてことは存在しません(断定)
では例。ここに「シンデレラ」というお話がある。これを「感性の優れているものである」と設定しておきましょう。
で、このシンデレラのお話が感性とか内容「だけ」で書かれると極論としてこうなります、ほぼ間違いなく。
いじめられてるシンデレラが魔法使いの助力で変身して舞踏会へ行き、王子様とダンスして12時の鐘とともに逃げ去るが、残ったガラスの靴のおかげで王子様に見つけだされそして幸せに暮らしました。
……さて?いったいどこが面白いんでしょうかね?文字通りてんで話にならないということは理解できるかと思いますが。
小説やら作品というものはどんなにそれが本当は「良いモノ」であったとしても、しっかりした技術で「作る」ことができなければ「作品」にすらならん、とまあそういうわけ。作ってもいない家なんぞ絵に描いた餅でしかない。
で、こういうことを言うと大抵の場合「感性派」はこう反論して来ます。
「その『作成』部分を感性でやるのだ」
……だだ甘の理論ですな。
じゃあ仮に、感性だけで書かれたその作品が「面白かった」としましょう、偶然にも。あり得ない話じゃありません、まあ世の中運がいいと言うことはあります。ともかくそれは面白かったとしよう。
しかしその文章に使われた「面白い文章表現」や「面白いエピソード配置」「面白いストーリー展開」等々、その文章は全て「偶然にも面白くするための技術が使われていた」だけなのだよね。
……分かりにくいか?
じゃあ別のもので例えてみよう。ここに大工(=作者)がいる。面白い家(=作品)を作りたいわけだ。
その図面引きやカンナ、トンカチ(=プロットや実際の文章作成)を、技術も教わらずに扱おうとしているのが「感性派」の人だね。
設計図の見方を知らないヤツが「偶然」感性だけで上手く設計図を引ける確率はどれぐらいだと思う?
トンカチやカンナの使い方を知らないヤツが「偶然」感性だけでまともに家を作れる確率はどれぐらいだと思う?
感性派の人間は「それでも上手く完成できるならいいじゃないか」とか言うが、それは「技術を持ってる人間は絶対に上手く出来る」という部分をまったく見ていないだけ、さらに言うなら「優れた作品は優れた技術で感性を見せている」ということに全く気付いていないということになる。
「技術を使えない」っていうただの欠点を「使う必要がない」と言い張ってる時点ですごくみっともないんですなー。
ところで感性ってなんですか?
HAL1(あさりよしとお)
まんがサイエンス7(あさりよしとお)
今日はとてもいい日でした。
ベガさんのむねと腰はとても素敵でした。
終盤のファイナルアタックよりも燃えました、まる。
ヘルシング3(平野耕太)
さてさて、以前卵焼きに塩が良いのかソースがいいのかとかそういう題材を使っていろいろと結論の導き方とかを言ったような気がする。読んでない人は探して読んでください(不親切)。
で、今回の状況はそうだな、
・卵焼きには塩がいいと思い、塩を主張する陣営についたA
・卵焼きには醤油がいいと思い、醤油を主張するB
こういう図式。
とりあえず図式に当てはめただけなので実際に塩が良いのか醤油がいいのか、という部分に若干ウソが混じるかもしれないから話半分に聞くことー。問題の焦点はどちらの「方が」良いかということにする。
さて、Aは言う。えーとなんでもいいや。
「塩化ナトリウムは身体にいいから塩の方がいい!」
ふむ、論拠としては弱いんだけどまあしょうがない。ともかくなんらかの理由があるためAは塩を推すわけだな。
問題は、ここでのBの論じ方。
「それは違う。塩はそんなに身体にいいもんじゃないんだ!!」
はいアウトー。
いや、論じあう分には別に構わないのだがこれ、
「Aの主張を否定しようとしている」
だけであって
「自分の主張を通そうとしている」
わけではないのだよね。
ここでBがいくらAを攻撃して、的を射ていたとしても
「Bが通る」
ことにはまったく繋がらないわけだ。あくまでBを通す前段階として、Aを除けようとしているだけに過ぎない、と。
ではAをとりあえず除けたB。どんな主張で通すのか?(とりあえず塩分は健康にいいという前提があったとする)
「別に醤油にだって塩分はあるし、醤油が好きな人だっているんだから醤油でもいいじゃないか!」
はいアウトアウトー。
はいはい、主張を「通す」という意味をもうちっと考えてみましょうねー。仮にこの意見がすんなり通ったとしましょう。
でもその場合の解答は「Bもアリ」になってしまう。これ、逆に言うなら「Bが通ることにはならない」わけだな。
さてさて、なにかの問題を論じるならば、「問題に対する」答え、そういうものを探さなきゃいかんわけやね。このBの場合は「醤油であってもいい理由」だけでは相手の主張を正すことは出来ないし、「相手の主張理由を否定」するだけでは「自分の主張を通す」ことにはらならない。
欲しいのはただひとつ。
「醤油でなければならない」理由だったりする。
まー答えなんて状況に応じて変わるんだから、「問題は何か」を早めに知ることさねー。
と言ったところでまた明日ー。
↑しくしくしくしくしくしく。
まあそれはともかく今週のジャンプ。なにやらわっきー、通称和月伸宏(違)が新連載をはじめたようですね。
銃アクションものでしょうか、今から鯨波さんの登場が楽しみであります。
…あれ?
サンデーでも似たようなものがはじまったような…?
とりあえず最近の注目新連載。
・チャンピオン
しゅーまっは
PIKA☆POKO
・サンデー
キリンジ
もうすぐ開始するはずの雷句誠の奴。
トガリ
・ジャンプ
りりむキッ(削除)
バラとコスモス、略してバラモス。
ああ、逆に言えばいいのか。キャラ対談形式にするってーのは簡単に言えば地の文による描写を投げ出す、ということなわけだな。
「基本はキャラ対談、必要な文章のみ地の文で書く」
というSSによくありがちなこのパターン、一見「キャラ会話中心に話が進んでいる」ように見えて実はただ単に「俺文章力無いからセリフだけで話を進めよう」、そう言ってるだけに過ぎないわけだね。もともとセリフだけで文章を進めるのは非常に難しいのに、そんな自分の描写力の無さをキャラセリフに頼るような人間の書くSSが面白いはずがないじゃないか、と。
あー、なんだ拙者ただ単に表現能力の無さをキャラセリフに頼ってる(誤魔化そうとしてる)SSが嫌いなだけじゃん。うわあい。ちゃんと地の文書け。
さていい加減他の話に移りましょうか。チャットでこんな話題が出ました。
「ドラクエ3で、どーしてオルテガは死んじゃったのか?」
さあ考えてみましょ。「なんでザオリク使わなかったのか?」と。
またまた考えてみましょ。「復活の呪文が存在する世界で、死が存在するのは何故か?」と。
……もしかして、ルイーダの酒場に集まる人間は異常能力者の集団なのではないのでしょうか?ぬう、そう考えればあの世界に納得がいきますな。
戦うことにしか能力を発揮できず、社会からつまはじきにされる異能集団というわけですね、だから人権問題が叫ばれて一応の市民権は得たもののまだまだ迫害があり、ルイーダの酒場なるギルドを作って寄せ集まって生きるしかない。
当然市民に対していい感情を持っていないので回復呪文なんぞ使ってくれない。そういうわけであの世界には死が存在するし、民衆に技術が伝わらないのも頷けます。
そんな時にひょっこり現れたのが「勇者」。
王様から認められた正式な「異常能力者」ですからして異能者集団の希望の星、なんせ勇者が活躍すれば異能者の地位も上がるわけですから、みんな頑張って勇者を助けるのです。
冒険者たちが傭兵料も取らず、命がけで勇者の手助けをしてくれるのはそういう理由からだったのですな、きっと。
いつ迫害を受けて殺されるかもしれない命ならば勇者に協力して冒険を成功させ、異能者の地位を高める可能性に賭ける方がマシだというものでしょう。
教会での毒消しや回復も同様です。
あれは神父さんが神の奇跡でやっているように見せかけて、実は教会で秘密裏に飼っている異能者の力なんではないかと。
教会一つに異能者一匹がこっそりと監禁されているわけです。
だから勇者たちのパーティーはレベルが上がれば上がるほどフッカケられるのですね。
さて、何故オルテガさんにはザオリクをかけなかったのかという問題が残りますが、これは冒険者たちの細胞が通常の人間とは違う、ということでしょう。
異能者たちの頑強な体細胞があってはじめて成功する復活の呪文は常人にかけても耐えきれないのです。
いえ、たとえそうでなくても、普通の人間の血を持つオルテガさんに対して底知れぬ感情があったのかもしれません。
この呪われた異能細胞は勇者達の運命をどんどん歪めていきます。
はじめは周囲の期待を一身に背負っての「勇者」。しかし全滅するたびに無理矢理生き返らされ、日々勇者達の肉体は人間とはほど遠いものになっていくわけです。
そうして魔王を倒した頃には、既に勇者の身体はすでに人間ではなくなっていることでしょう。
つまり勇者の子孫こそがのちの竜王になるわけですね。いや恐ろしい。しかしこれに対抗するのがわずかに残された人間の心を受け継いだもう一人の子孫、ドラクエ1の勇者です。
つまりドラゴンクエストとは、呪われた一族の呪われた物語なのですね。
うーん、ヒューマンドラマ。
前回までのあらすじ
キャラ対談というモノについていろいろ考えている。
こんにちはだみゅう。ちがうちがう。
さて続き。
キャラ対談というモノはそもそも作品の地の文を廃した、「不完全なシロモノ」であり、世のキャラ対談SSは
シナリオしか書けてない映画を見せて喜ぶバカだと言い換えてもいいだろう。
この時点でもうキャラ対談SSそのものについてサムイかどうかなんて言う必要はないですな、だってつまんねーと分かり切ってるものを講釈たれてもなあ。
んじゃ逆に、キャラ対談とはどの分野で生き残れるか?
キャラ対談の弱点を考えてみよう。
作品として成り立たない
描写が書けない
キャラを掴めていなければならない
えーとなんだか絶望的な気がするのは置いといて。
さて、つまりは作品として成り立たないのであって、条件を満たせば存在は可能、と。あとがきに登場するのはまあ可能だということだね。
では、なんでたいていのあとがきキャラ対談もつまんないのか?それが「描写が書けない」と「キャラを掴む」だったりする。
キャラ対談だけってーことはキャラが喋るわけだから、当然全ての文章は「キャラの言葉」として出されるわけだな。キャラの描写もキャラの口からしかできないし、感情もセリフでしか出せない。その時点で「一人称しか書けない」とか「三人称で書けない」人は脱落。キャラクターを把握してない人も脱落。
ああ、なんだか段々やりたくなくなってきた。なんかもうキャラ対談というどうしようもない文章体について講釈たれるのってすごい意味無いと思います。
ともかくキャラ対談はそういう不完全な文章。楽屋オチとかあとがきとかただのかけあいとかそういう「一部分」としては存在しうるけど、「全体」を構成させるにはハリウッド映画の面白さを手話で全部伝えろと言っているに等しいのだね。
あー、ここまで書いてきたけれど、結局セリフばっかで描写の少ない「キャラ対談」になっちゃってる小説やらSSってスゴイ無価値というか作者の恥さらしだね。という結論のようです。
なーんだ、キャラ対談あとがき以前の問題でしたね(爽やかに笑う)
レディ・スクウォッター(都築由浩)
夢界異邦人(水落晴美)
リングテイル3(円山夢久)
月と貴方に花束を4(志村一矢)
僕にお月様を見せないで2(阿智太郎)
前回までのあらすじ
「キャラ対談形式のあとがきってサムイよなー」と常日頃から言っている泥皇。しかし彼はふとしたことから「サムイ対談形式ってどんなんだ?」という疑問にぶち当たってしまう。そこで泥皇はその答えを出すべく自ら対談を行い、キャラ対談とは何かを探るのであった……
だからどろんは出ないってば。(挨拶)
そういうわけで解答編というか決着編というか今までのことを踏まえてとかまとめとか。
さてさて、まずはこういう路線から考えてみよう。
「キャラ対談ってなに?」
はいはい、解答編ですからとっとと行きましょう。
定義。
「キャラ対談とは、会話文だけで構成された文章である」
これだけ。
たったこれだけの制約しかないわけだ。
さてここで多くの人間はこう考える。
「おお、これは便利。わざわざ面倒な文章入れなくても会話だけで作品できちゃうよう!ラクだなあよし俺もやろう!」
はいはいはいはいよかったねーラクだねー簡単だねー。
だがそこに落とし穴があるわけだな。定義を逆の言葉で言ってみようか。
「キャラ対談とは、文章を会話文だけで構成しなければならない」
さてここに「お話」があったとしよう。万人が認める「面白いお話」。映像化すればハリウッドだ。ロングヒットだ、ブラボーだ、そんなの知るか。まあともかく。
「そのお話を、会話文だけで書いてみな」
つまりはそういうことなわけだな、キャラ対談というのは。
お話というものを「会話文だけ」で表現したモノがキャラ対談。言い換えるなら映像も音声も、人物の描写すら使えないわけだ、つまり作品として不完全な状態。
作品で言うなら、シナリオ段階のものを見せて何が面白いのだ?というわけ。
続く。
前回までのあらすじ
「キャラ対談形式のあとがきってサムイよなー」と常日頃から言っている泥皇。しかし彼はふとしたことから「サムイ対談形式ってどんなんだ?」という疑問にぶち当たってしまう。そこで泥皇はその答えを出すべく「サムイキャラ対談」を実行に移すため対談専用キャラ「どろん」を出現させるのであった……
泥「こんにちはだみゅう!!」
どろん「みゅ、『みゅう』っ!?」
泥「そうだみゅう!ボク、泥皇だみゅう!うみゅ?どろんちゃん、どうしたんだみゅう?」
どろん「……御主人様が壊れたぁ!?」
泥「どろんちゃん失礼だみゅう!ボク、壊れてなんかいないもん!ぷんぷん!」
どろん「あぅぅ、どどどどうしたらいいんでしょうか?(わたわた)」
泥「まあそれはともかく」
どろん「そうだ!、こういうときは御主人様を気絶させればいいんですぅ、えーっとまずは首筋にチョッ」
泥「……落ち着きなさい」
ごすっ。
どろん「……あ、御主人様が元に戻りましたぁ、ふええ、よかったですよぅ」
泥「うむなんだかわからんがよかったよかった。ところでだな」
どろん「はいっ♪なんですかぁ?」
泥「対談形式今日で終わりだから」
どろん「……え?」
泥「いやだからこれで終わり」
どろん「ど、どうしてですか、御主人様ぁ!」
泥「いやー、さすがにさー、自分で書いてる文章に『む、どんな方法だ?』とか自分でツッコミ入れたりするのがツラくて」
どろん「はうぅ、酷すぎますぅ(えぐえぐ)」
泥「ていうかいい加減飽きた。次回、解答編です」
どろん「しかもオチがないですぅ」
3×3EYS35(高田裕三)
前回までのあらすじ
「キャラ対談形式のあとがきってサムイよなー」と常日頃から言っている泥皇。しかし彼はふとしたことから「サムイ対談形式ってどんなんだ?」という疑問にぶち当たってしまう。そこで泥皇はその答えを出すべく「サムイキャラ対談」を実行に移すため対談専用キャラ「泥沼恵美子」を出現させるのであった……
とりあえずどろりんが不評なのでここは一発お客様に媚びてどろんちゃんとでもしてあげたいと思います、よろこべ泥沼恵美子。
どろん「はぅ、御主人様が投げやりになってる気がしますぅ」
まあ投げやりであることは間違いない。ってか答えが見つかり気味だからな。そういうわけでオマエはそろそろお役御免だ。
どろん「私は所詮使い捨てキャラなんですねぇ。悲しいですぅ」
おお、なんだかちゃんと対談形式っぽくなってるぞ。いいことだ。
どろん「なんだか御主人様がもの凄く間違った方向へ行ってますぅ」
うるさいよ。まあそれはともかく対談形式とか言ってる割にあんまり対話になってなかったのがちょっと心残りなんだがな。
どろん「あ、それならいい方法があるですよぉ」
む?どんな方法だ?
どろん「こうすればいいんです、……えいっ!!」
泥「おお!?拙者までこっちに!!なるほど、これならちゃんとした対談形式そのものだ!!えらいぞどろん!」
どろん「わあい、やっと褒めてくれましたねぇ、御主人様っ♪」
泥「うむえらいえらい。よしこのまま日記ネタもやってしまおう」
どろん「えへへ、了解ですっ♪それで御主人様、今日はどんなことをなされたんですかぁ?」
泥「午前講義の後ずっと寝てた。あとジャンプ読んだ。ご飯食った」
どろん「あうう、ダメダメです〜」
ライジングインパクト9(鈴木央)
前回までのあらすじ
「キャラ対談形式のあとがきってサムイよなー」と常日頃から言っている泥皇。しかし彼はふとしたことから「サムイ対談形式ってどんなんだ?」という疑問にぶち当たってしまう。そこで泥皇はその答えを出すべく「サムイキャラ対談」を実行に移すため対談専用キャラ「泥沼恵美子」を出現させるのであった……
「本末転倒ですね」
何か言ったか?
「いえ別になにも」
あ、なんかこういうのがサムイ対談なのかも。というところで今日は泥沼恵美子のキャラ立てを行いたいと思います。
「そういうものなんですか?」
そういうものなんです。どうやら掲示板やら自分でネット巡りをしたところ可愛い系キャラとかが適当にくっちゃべってるだけでキャラ対談になるようなので、泥沼恵美子にもそういうキャラ立てをさせようとしうことなのですよ。というわけでまあこちらも対抗して泥沼恵美子の語尾に「にゃ」を付けてみるとか。
「安易な考えだにゃあ」
なんだかとてもサムイような気がしてきたがまあこんな感じ?これで読者人気は上々鰻登り?いいいやっほーぅ。
「やれやれだにゃ」
拙者もそんな気がしてきました。しかしこういう場合は読者の妄想ビジュアルにネコミミ美少女とかが勝手に創造されるんではないかと。よくわからんが。
ううむ、でもなあ。なんかこう違うんだよなあ。なんというかこう名称が泥沼恵美子でネコミミ美少女とか言うのはちょっと違うような気がする。たとえていうならサムライの名前がハリーとか。
「なに言ってるかよくわかんにゃい」
拙者だってわかんねえよコンチクショウ。ええとやっぱやめだやめ。語尾が「にゃ」には無理がある。えーとそうだな語尾を変えるんではなく全体の喋り口調を変えてみようかいかにもトロくさそうなマニア受けする女の子。本名泥沼恵美子でニックネームをつけるとか。ようし決定〜。
「無茶苦茶ですね」
違うだろっ!!この場合はこうだっ!!
「はうう、無茶苦茶ですぅ」
「……はうぅ、怒られてしまいましたぁ」(げんなりしながら)
さらにその場合は手を半分袖に隠すようにね!!
「あうぅ、わかったですぅ」
えーとじゃあ泥沼恵美子というのもなんだな、とりあえずこうしよう。ニックネームはどろりん。それであと拙者のことは御主人様と書いてマスターとでも呼ぶように。
どろりん「あうぅ、どんどんマスターがイタくなってるなってる気がしますぅ」
拙者もそろそろ投げ出したいです。
チョッパー…………エッエッエッエッエッエ!!
見てドクター!!ケガした
ギノ゛ゴ 生ぎててドクター
ドクターおれ医者になりたいんだよ
やれるさチョッパー
ウアアアアアアアア!!!
人に 忘れられた時さ
まったく!いい人生だった!!
バカにつける薬はないのだから!!
だっでごの世に治せない病気はないんだがら!!
っっっトォオ!!!!!!
もう泣きっぱなしですワンピース16巻。
「何を言い出すかと思ったらそれですか」
なんとなく友人に
平田のb
とだけ書いて送ってみたり。いや特に意味はない。
さて今日のニュースはこちら!流行語大賞!
やー、まさかおはスタの「おっはー」が大賞に選ばれるとは。
山ちゃんすっかり人気者ですなー。
でも授賞式に出たのは慎吾ママ。
久々に殺意が湧きましたよ、他人のふんどしで相撲を取りますか。しかも授賞式にのうのうと出ますか。
普通は連絡が来たときに「いやーそれはおはスタさんが行くべきでしょー」って断るものなんじゃないでしょうかね?
それをのうのうと授賞式に出るのかっオマエはっ!許すまじ慎吾ママっ!!
でも番組で「おはスタさん有り難う」って言ったから許すことにした。
といったところでこのページを読んでる皆様へお知らせ。
常日頃「後書きでの対談とかってサムイよ、やめろやめろ!」などと思っておりました拙者ですが「どうしてあれ、サムイんだ?」ということに答えられないことに気付きました。
そこでしばらくの間ここにも対談専用キャラを出すことに決めた。(邪笑)
「いきなりですね」
というわけでこれが対談専用キャラということです。読者の皆さんへ人気取りをするため、美少女だということにしておきます。
「そういうものなんですか」
そういうもののようです。とりあえずむさいオッサンを出すよりは人気が取れると言うことでしょう。拙者も空想上のキャラとはいえ男二人で進行させるのは嫌です。
「ところで私、やけに平坦な口調みたいな気がするんですが」
それはあなたのキャラ立てをまだ決めていないからです。どうせ飽きたらいきなりやめるつもりだし、どういう理由でキャラ対談形式がサムイのかわかったらやめるつもりだし。というわけで皆さんどこかどうサムイのか各自考えてみてください。
「なるほど、私は最初から捨てられる運命のキャラなわけですね。ちなみに私、なんていう名前なんですか?」
泥沼恵美子。
「バラエティー生活笑百科?」
ONEPIECE16(尾田栄一郎)
NARUTO5(岸本斉史)
外道ハンターX(G.B小野寺)
クロノクルセイド3(森山大輔)
ええっ、エロ小説って大笑いしながら読むモノじゃなかったんですか!?
拙者にとっては超高レベルのギャグ満載だったのに……
ここは俺に任せてオマエは先に戻れ!