鬼術(キジュツ)つまり日記のページ
昔
1月になっても変わることも無く。
2月の短さは誰のせいだろうか?
3月に見る夢は誰のモノなのか?
ようやく19日のルーンウルフを読了。
さてこの話、暴走させると国が潰れてしまうほどの力を秘めた星座魔字とやらを回収するために星座魔字が取り憑いた女性を脱がす人のお話なわけですが。
オチが失敗して国が消えちゃいましたというのはどうかと思った。
いやそれだけならいいのだが(よくないけど)その数ページ後に告白して「そんなこんなで今日も主人公は女性に囲まれつつも脱がすのでした、ちゃんちゃん」で済ますのはどうかと。
潰れた国はお構いなしか、主人公。
それはそうと、いろいろあって「面白い作品」というものについて考えてみたり。
えーと、よく世の中には作るための技術とかを持ち出すと「そんなもん面白ければいいんだよ、面白ければ!」とか反論する人がいるわけで、それは確かに面白ければいいんだがあんたのはつまんないわけだし。
そのつまんない作品を面白くするために技術がいるわけだが、じゃあ技術を思いっきり使えば面白い作品になるのかと言われればそれ「だけ」ではない。
えーと、ここに橋があるとする。
その橋は最先端の科学技術&建築技術で作られており、安全性に優れ1000年は保つといわれてるわけだ。
だからといってそれが芸術的な橋なのかと問われれば、そうではないだろう、と。
もっとその技術を「どう面白くするか」ってー使い方が重要なんじゃなかろーか、とか。
その技術を持ってないのに比べれば遥かにマシだが、その技術だけでは面白さには繋がらない。
まあこのあたりは技術を持ってる人にのみ言える文句なわけだが。
はてさて。
ガオレンジャーを見る。
どうにもズレた割には面白い作品じゃのう。
えーとゴリラ格好いいー。
ところでガオホワイト(紅一点)がこんなセリフを。
「私の父さんは、虎を倒したことだってあるんだから!」
どこの愚地独歩でしょうか。
それはそうとひとつの力だけでもいいものは作れるという見本。
単純に「動く」それだけでもこれだけ突き詰めれば面白くなるってーことですな。
無理は承知で私立探偵3(麻生俊平)
(注:本日は「カッコイイ」と「面白い」をほぼ同義に扱っています、ご了承ください)
吸血鬼が増えたなあと、思う。
いや、もちろん「吸血鬼モノ」な作品が増えたねってことだけど、雑誌を立ち読みしたらいい加減吸血鬼モノばかりで飽き飽きしてるものですから目立ったものをやり玉にあげてついでにストレス発散してみようと思います発散が6割ぐらい占めてますが。
あと実際に攻撃してるのが吸血鬼モノだけだと思ったら大間違いだが。裏の裏まで読むと良し。
さて。
ここで単純に、いつものように「吸血鬼という要素に頼ってクソつまんねえもん商用作品に出すなバカ」と結論を出すのは簡単でどうしようもない事実な訳だが今日はちょいと考えを変えて、
んじゃ、どういう吸血鬼モノがいいのか?
そんなことを考えてみたり。
クソつまんねえ吸血鬼モノ群の中にも良い物はあるはずだ。ならどういうものをもってして「良い物」と認定するのか?
えーと、じゃあまず考えてみよう。「吸血鬼モノは何故市場に出回るのか?」
まず出てくるもっとも単純にして愚劣な答えは「売れるから」そしてほとんど変わらない理由でしかも無能さをさらに晒す答えは「カッコイイから」だってーこと。
じゃあこう考えてみよう。なぜ吸血鬼モノは売れるのか?なぜ吸血鬼モノはカッコイイのか?
吸血鬼モノがなぜ売れるのか?それは吸血鬼モノがカッコイイ(面白い)から。カッコイイと思わせるようないいものを作れば、誰も何も文句は言わない。問題なのは、吸血鬼モノだというだけでまったくオリジナルの格好良さを描いていない作品がある、ということ。
吸血鬼モノがなぜカッコイイのか?それはかつてカッコイイ吸血鬼モノがあったから。受け手は吸血鬼が出てくると言うだけで、過去の「カッコイイ吸血鬼」を心に投影しクソつまんない吸血鬼モノだろうと、その中に含まれる過去のカッコイイ吸血鬼モノを想起させるようなシーンやセリフに対して都合良く格好良さを感じてしまうのである。
たとえば近年の吸血鬼モノで有名なのが平野耕太の「ヘルシング」だが、その中にある有名なセリフ
小便はすませたか?
神様にお祈りは?
部屋のスミでガタガタ震えて命乞いする心の準備はOK?
これに「似たような」セリフを使うだけで、ヘルシングに心酔しているファンはその作品に「ヘルシングみたいな格好良さ」を見出し、喜んでしまうのだ。
……で、それはヘルシングを読むのとドウ違うのカシラ?
えーと、さらにこう考えよう。アンタの心の中にある「カッコイイ吸血鬼モノ」はどんなお話だ?
つまりは吸血鬼モノというジャンルに人は何を求めてるのか?ってー話。
吸血鬼モノってーのは、これがまた案外「定型」みたいなモノが存在するわけで。
吸血鬼が存在するという「世界」がある。吸血鬼が横行するヨーヨッパー風な世界だろーと現代に吸血鬼が蘇ったり暗躍してる世界だろーと、そこでの吸血鬼は「異端」として扱われる。だいたいにおいて吸血鬼モノはその「異端」を描くことがメインになるわけだ。
んと、ここで「吸血鬼」についてちょいと考えてみよう。
吸血鬼のモデルってーのは何か?
あーとそこそこ、「ヴラド」とか間抜けな答えをしない。ここで聞いてるのは「吸血鬼」であって、「ドラキュラ」ではない。
えーと、中世ヨーロッパには「森」というものが存在していた。っていうか実際の話「森の中に国があった」と言っていい場所もあったんだろうけど。
んで、ここらへんは世界史になっちゃうんで面倒くさいからはしょるが、「森に住む狼などの獣」や「森に隠れ済む犯罪者」などへの恐怖感から「狼男」の伝説が生まれ、それが転じて、というかいろいろなモノが混ざって「吸血鬼」になった、ってーこと。
「吸血鬼」、というのはイコール「闇への畏怖」だったりするわけで。
で、その「畏怖」「異端」が吸血鬼モノのメインというか味というか。
吸血鬼という要素は、受け手に刷り込まれている闇への畏怖や異端への恐怖を喚起させるのに非常に優れた要素だってーこと。
吸血鬼モノは、禁忌に触れるスリルとか好奇心を容易に味わえる要素だとも言い換えられるが、良くも悪くも吸血鬼という要素を使うことでお手軽にそういう興奮とか不安感(そしてそこから感じられる面白さ)を味わえるのだ、良くも悪くも。
さて、これで大体のピースは出揃ったのでまとめ。
要するに、吸血鬼というのは非常にお手軽なカレールーなのだ。このカレールーを使うだけで、ある程度の「背徳」「禁忌」「畏怖」「異端」「暗黒」「深淵」そーゆースリルを恐ろしいほど簡単に味わえてしまう、便利なカレールー。
子供達はカレーの味が大好きだから、カレー味がするだけで大喜び。たとえそれがどんなに工夫のないカレーだろうと、美味しそうに食べてくれます。自分の舌を鍛えることも知らずに。本当に美味いカレーとの違いもわからずに。
ってーのが現在の「市場」。「美味しい」カレーが出回った結果、「美味しいかどうかはともかく」カレーであることがブームになってしまったというトホホな状態。美味しいカレーブームが続いてるウチはクソつまんねえカレーでもそこそこ人気は取れるかもしれない。でも、それはただのブームに乗った粗悪品を世に出しているだけであって、決して美味しいカレーじゃないわけだ。
で、話を「どういう吸血鬼モノがいいのか?」ってーのに戻そう。
つまりカレーであることに頼るのではなく、その店独自のオリジナルカレーを作ることが重要になってくるわけだ。なぜかってーと携帯電話やコンビニの状況を思い返してみるといい。増えすぎた市場は、やがて本当に優れたものを残してどんどん衰退していくものだってーこと。吸血鬼が出過ぎた以上、「吸血鬼であること」のメリットは意味を無くしているのだ。
と、じゃあここでヘルシングを例に挙げよう。ヘルシングカレーはどのようにして独自のルーを作ったか?
……えーと、実は、ヘルシングというものは「たいしたことのないカレー」だったりする。
「宗教に深く根付いた文化で化け物退治の団体がある。んでそれに属する主人公こそが最強のヴァンパイヤだったのだ!(ドジャァーン)」そんな感じで、よく言えばオーソドックス、悪く言えばヒネリがない。
ではなぜヘルシングが人気出るかというと、「先に出た」のがひとつ。「まだブームになってない段階で先行した」もしくは「ブームの火付け役」たるヘルシングはその存在自体が多くの人間に刷り込まれ、「まわりに吸血鬼が多い状態で出た」後発の作品よりもはるかに受け入れられている。まあぶっちゃけた話、先にやったから目立ってるというのがある。
そしてもうひとつは吸血鬼要素の強調。ヘルシングがカッコイイのはストーリー展開が優れているとかいうのではなく、「カッコヨサ」を演出しまくっているその描写にあったりする。
単行本の黒ベタを数えてみよう。
宗教の思想がいくつ出ている?
そこで生まれた屍の数は?
「吸血鬼モノ」に関連してキャラクターの主義を魅せるのに便利な「宗教」という要素、吸血鬼の異端と畏怖を演出するのに適した「死者」を執拗なほどに出し続けるストーリー、そして単純にして明解なカッコヨサである「ガンアクション」、言ってしまえばそういう「カッコヨサゲなもの」の羅列でしかないわけだが、これを「ブームもまだ下火のころに」コテコテの吸血鬼モノであることを「思いっきり」見せまくることによって大成功を収めたのである。
まあ吸血鬼モノが全盛の時にやったら最悪だったんだが。
はてさて、今後は商業作品という世界において作り手が吸血鬼モノというジャンルを選ぶ場合、3つの道があるわけだ。
1つ目は、そのまんまつまらない吸血鬼モノを作って消える。
2つ目は、思いっきり受け手が望む「吸血鬼モノ」に迎合して生き残る。
3つ目は、吸血鬼という要素を使ってオリジナルの「良い作品」を作る。
まあ実際の場合、2と3は「どちらにどれだけ重点を置くか」って配分の問題で区分けはできそうにないんだけど、どういう道を選ぶかってーのは1でさえなければ別に2が多くても構わないんじゃないかなーと思ったり。
ただし、そのヒネリもクソもない吸血鬼モノに踊らされたオタク共から吸い上げた金を、しっかりと他の「良い作品」作りに回せばの話だが。
売るなら売るのに徹して欲しいデスネ。
インドのジャンケンは、指を3本使うそうな。いや、本当にインドかは忘れたが。
親指がゾウ。
人差し指がヒト。
小指がアリ。
ゾウはヒトに勝ち、ヒトはアリに勝ち、アリはゾウに勝つ。
ゾウ>ヒト>アリってーのはわかるが、アリ>ゾウってのはなんなんだろーかと思ってたんだが、どーやらこれは「アリの大群相手」ってことらしいですな。本当か嘘かは知らないが、アリの大群がゾウをぶっ殺してしまうこともあるそーで。
で、まあその真偽はともかく、「多数の力」ってのは確かに世の中に存在するわけですな。
力がどんなに弱くとも、数が揃えば力は増す。
まあこれを自分個人の力だと勘違いするのは非常に愚かしいし、本気でただ群れるだけってのは力にすらならんのだけど。
ともかく数を揃えることで幾ばくかの力「も」得ることもできる、これ重要。
こんなふうに。
揃えすぎ。
雨ニモ負ケズ
風ニモ負ケズ
世間ノ目ヲモ気ニセズ
ムシロ妻ノ前デアレナゲームヲ行イ
妻ハ妻デチャットニ入リ浸リ
三ツ子ノ魂ハ百マデ
蛙ノ子ハ蛙
ナンラ変ワルコトモナク
「アア、ヤハリ二人ハソノマンマデスネ」
ソンナ台詞ヲ暖クカケラレル
ソンナ夫婦ヲ
拙者は見たい。
そんなわけでオリザン殿と田農丙下殿というネット友人のお二人が結婚なされるのでめでたいねという話。
しかし多分そうなるだろうという感じはしてたがいざなってみるとびっくりするという感覚はりりむキッスの最終回の衝撃にも似ていますね、とはネーヤ殿の談。
いったいどんな夫婦になることやら。今から楽しみだ。
ところでなぜかチャットでこんなことを言われました。
「丙下さん、泥皇さんに取られないように気を付けてくださいね」
失礼なこと言わないでください。
拙者が好きなのは人妻や未亡人ではなくそういった女性に多く含まれる愁いや背徳感だと言っているでしょう?新婚ほやほやの女性は範囲外なんですよ!
本当にもう失礼だなあ、未亡人と人妻に。
それはどうかと。
しゅーまっは1(伯林)
エンジェリックレイヤー4(CLAMP)
魔境学園風雲記ハーフ&ハーフ上下(巣田祐里子)
成恵の世界3(丸川トモヒロ)
拙者が大学でやってる古事記研究だが、これを学ぶ上で欠かせないのが「注釈」の存在である。
知っての通りっていうか知ってるかどうかは知らんが古事記とゆーのは「漢字だけで書かれた文章な上に昔の言葉」なんで読むのが非常に厄介で、今日でも正確な読み方というものが完成されてないほどなわけで、そのまんまじゃとても語句の意味を理解することなんぞできん。
んで、そこで出てくるのが「注釈」。
先人達が「ここの文章はきっとこういう意味を含んでいるんだろうな」「この単語にはこのような意味や歴史があるのだ」というのを調べて記した「注釈」を使うことで、後世の人間はイチから全部調べることもなく、自分の研究すべき部分に専念できる。
んー、まあつまり古事記という千年がかりで攻略してるゲームの、みんなで作ってる途中の攻略本、そんな感じのものだと捉えておこう。
んで、そーゆー参考資料の中に「鼈頭(ごうとう)古事記」ってーのがある。
どーゆーものかってーと↓こんな風に頭上に注釈がついた形のヤツ。本文を読みながら注釈も追っていけるんで結構便利な注釈書なわけだ。
ここに解説文が | 縦書きで入る |
本文 | 本文 |
後輩「センパイセンパイ、『ごうとう』ってのはどんな意味なんですか?」
研究会中にそんなことを聞かれた泥皇さん、素直に知ってる知識でもって答えます。
泥「あー、そりゃスッポンだ、スッポン。漢字で書くと鼈。頭注(頭上に付く注釈)と本文の比率を鼈の頭にたとえたんだな、まあ日本語の妙ってヤツだ」
後輩「あー、なるほど。……でもなんでわざわざ鼈なんですかねえ?」
対して泥皇さん、あっさりと答えます。
泥「亀頭古事記はマズイからじゃないの?」
研究会には女性もいましたよ?(爽やかな笑顔で)
今日も朝早く午前2時頃起きた泥皇さん、それは早いのとはちょっと違うんじゃないかという疑問はさておいて元気に朝食です。
「おやおや大変だ、御飯を炊き忘れてしまったぞ」
間抜けですね。
そんなわけで泥皇さん、腕を組んで考え込みました。
「よし、我慢しよう」
しかしお腹が空いたので食うことにしました。
「よぉし、今日は料理に挑戦だ!」
泥皇さん、今回は魚人海賊団に襲われないといいですね!!シャーッハッハハハハハ。
「まずは卵をどうしようかな、でもお皿を出すのめんどくさいな。そうだ!」
ズボラ 合理的な泥皇さんはさっそくカップに牛乳をと卵と砂糖を入れ、かき混ぜてからレンジで1分。美味しそうな飲み物のできあがりです。
いやそれが温めたミルクセーキだと気付いたのは作った後でしたけど。
おまけによくかき混ぜなかったせいで軽く固まった白身の塊が口の中でカエルの卵みたいな感触でしたけど。
ともかく完成した泥皇さん、あとは主食です。
「えーとそうだな、よし、コロッケパンを作ろう!」
コロッケパンとは泥皇さんの得意料理。いや料理かどうかはともかく、解凍したコロッケをトーストに載せてソースをかけたお手軽で美味しい料理です。コツはトーストにバターかマーガリンを塗っておくこと。
「ありゃ、コロッケ切らしてら」
困った泥皇さん、しょうがないのでコロッケの代わりにパンに載せるものを探すことにしました。
「よぉし、これにしよう」
なめ茸を(略)。
しょっぱかっ(略)。
そんなわけでさっそくジャンプの日ですが読んだところりりむキッスが終わってて予想してなかったと言えば嘘になるけどなんとなくこのまんま続くのかなというような気にさせる妙な漫画だったため結構衝撃的なんですが結局のところ編集部は何か考えて時代錯誤なラブコメをやっていたわけでもなんでもなくただ単になんの工夫もないラブコメになっただけであるということが露呈してしまったわけでそれならばやはりりりむキッスの作者はジャンプ編集部の犠牲者と言うことになるんじゃないのかなあとか思ったり思わなかったりいや思ったんだけどともかくお疲れさま。
ところで表紙は微妙に無理のある宇宙服が多くて素敵ですねジャガーさんや猪狩虎次郎はともかくホイッスルと黒猫とりりむと藤原佐為(スタンド)はどうかと思いますが。こんな時でもアラーキーは資料調べてからウソ宇宙服にアレンジしたんでしょうなあ。すげえ馬鹿(むしろ褒め言葉の方で)。
さて、そんなわけで今回は読み切りが2つ、「もののけ!にゃんタロー」「WITCH CRAZE」。
前者はギャグ漫画家、後者はストーリー漫画家の作品って印象でしょうがよくよく読めばこの2つ、実はかなり同軸にある作品だってーことがわかりますな。っていうか同じ読み切りを同時に載せてどうするジャンプ編集部。
まあそれはともかく立場的にもののけは「潜むモノをひとりで倒していく」ウィッチは「ハンターから逃げている」ですが、話の骨子はともにRPG型、えーとつまりあれだ。「毎回いろんな場所でいろんな化け物を退治していく型」諸国漫遊型(ところで今タイプミスしたら諸国魔乳型と出てきました。巨乳を越しましたねいえすいません聞き流してください)、どうやらジャンプはまたまた王道復古路線を目指してるみたい。
さて、しかしさすがは「漫画家」を何年も続けたってーところでしょうか、「もののけ」の方が(絵はともかく)作りのしっかりしているという点では遥かにウィッチに勝っているわけですな、まあギャグが面白いかどうかは別として、
・プロローグで化け物の存在
・不良の主人公=実は動物に詳しいいい人
・それを襲う化け物=それを助けるヒーロー
・化け物を倒すため旅しているとヒーロー
・事件発生
・ヒーローピンチ
・主人公の知恵で撃退
・素直になる主人公
というストーリー展開の中で、化け物を出す前にプロローグで日常に動物の姿で潜んでいる化け物の存在を提示したり、主人公が動物好きという設定を先に出しておくことで弱点を打破できたり、そういう伏線と流れを考えた構成になっているために実に「無理のない」お話になってるわけです。まあ無理がないだけでどっかで聞いたような変わりばえしない話になってるのは惜しいが、「悪い」要素はなくなってる、と。
んで対するはウィッチ。こちらはやはり新人のせいか、「お話造り」という点では若干劣っているわけですな。
・魔女が存在し、魔女狩りの続く荒廃世界
・旅する2人が事件に巻き込まれる
・この世界には黒斑病が蔓延しているらしい、世界は魔女のせいで荒廃しているらしい
・魔女の血を使って私腹を肥やすハンター側の人類
・荒廃しているのは魔女のせいではないと医者
・ハンターの襲撃
・魔女を狩るハンターと、魔女を守る主人公の違い
・魔女の血を使い、敵を倒す主人公
・平和が戻り、荒廃は魔女の仕業だというのが思いこみだとわかる
さてこれ、何が問題かとゆーと、「お話に関係ない事項が多すぎる」「お話が説明不足すぎる」点。
「なぜ魔女が追われているのか」「なぜ主人公が魔女に仕えているか」「結局魔女は悪いのか悪くないのか」そーゆー部分になんの説明もないまま話が進んでる、というかわざわざ「魔女のせいで黒斑病が」などと言った割に黒斑病は今回の話に関係なかったりするのはいったいどういうことでしょうかというような、「追われている魔女を主人公達が助ける話」に余計なものがくっついちゃってる点が問題かと。
こーゆー点はもうバッサリと切り捨てて、たとえば街の人のセリフで「あのあたりの街も魔女のせいで消えちまった」程度で済ませておいて、「伏線にならない設定」は出さない方がよかったんではないかなーと。
ん、まあ主人公と敵ハンターの立場を「人間でありながら魔女に味方する者」と「人間の味方でありながら人間を捨てた者」と対比で表したのはマルなんだけども。
まあ「お話」って点では熟練と新人の差が出たわけですが、漫画ってーのは「絵」と「セリフ」を「配置」した「お話」、新人さんにしては合格点じゃないかと、そんな話。
んで、今週のワンピはちょっと詰めすぎな感じ。作り方自体が「みんなの力で一気にアルバーナへ!」というのを言いたいのはわかるが、それにしたって畳みかけすぎだろうと言ったところ。
ただ、これも状況の変動、というかはっきり言うと「中盤戦のためのコマ配置換え」なんでちんたら時間かけてる暇はないってーことなんで正解なのかもなーというところでしょうか、今回のでイガラムさんやペリーさんも「コマのひとつ」に組み込まれたわけで、お話の流れと言うよりは一気に終わらせて「来週からいよいよエージェントVSルヒーチーム戦だぜ!」そーゆーことなんでしょうなー。
まとめとして、今回は「ペース配分の悪さが目立った」ってとこですかな。コマを整え直すにも、相応の整え方があったんじゃないかという。でもまあチョッパー可愛いので許すことにする。
サモハンキンポー!(挨拶)
そんなわけでジャポニカ王子は結局雑君保プのキャラデザなのかどうか気になる今日この頃皆さんいかがお過ごしでしょうか。
拙者は部屋に閉じこもって小説読んでましたよ、サンダルフォンとか。
ぬう、しかしあんまり面白くなかったです。ネタになるような面白さじゃありませんでした。
むしろ空回ってて面白かったとも言えるが。
過程というものは非常に複雑で、それに反して結果というモノは時として過酷なほどに単純なものだと思う。
もちろん複雑な結果というのは存在するが、それもその過程の方が何倍も複雑だからこそ言えるセリフで、やはり結果の方が複雑になるなんてこたー実はありえない。まあどこまでを過程として認識するかにもよるんだけど。
まあそんなわけで、結果とは単純なものなわけだが。
いや、もうちょっと物言いを変えてみよう。
過程やら周囲の環境やら評価やら、そういうもので問題が複雑になった時、どうすれば解くことができるか?この答えは実に単純で「答えを突きつけてやればいい」。
「貴様は駄目だな」「これじゃ駄目だよ」「話にならんね」こういう認識を持たれて、それを解決するにはやはり「駄目でない結果」を見せる以外に解決法なんぞ存在しない、つまりはそーゆーことだったわけだ。
もちろん、過程を理解するのは重要なことだったりする。なぜかってーと人から教えられた答えで問題を解いても、それは単に「問題を解けという要求に応えた」だけで問題を解いたことにはならない。拙者がよくここで「結果」の解析モドキをやってるのも、問題を解くための過程=公式を探ってるのに近いから、どんなに納得しようが参考書にしかならず結局これを納得して解けるように身につけるべきは「アンタ」だというだけの話。
世間の非難がいくらあろーと、結局のところ美味しい料理さえ出せば客は黙る。5ヶ月だろうと10ヶ月だろうと1年2ヶ月だろうと。要はそれを待っただけの美味いモノが食えればいいのだ。もちろんコックに自身にはそんな意識を持たれちゃ困るけど。
さて、結果を見せてくれたコックには何をするべきか?
これの答えも実に単純。
手を合わせてこう述べればいい。
「御馳走様。美味かったよ」
またそこの料理を食うことにしようと思う。
映画を観終わった後に、自分が「楽しんでいたな」と思う瞬間がある。
まあそれが拙者の場合「尻が汗かいて気持ち悪くなっている」だったりするのでいかんともしがたいが、ともかくまあそうやって尻の汗にも気付かないほどにのめり込ませるような映画ってーものがいわゆる「成功作」で反対に全然尻に汗をかかない映画が「失敗作」、少なくとも拙者にとっては「尻を熱くさせる映画」であったらそれは面白い映画だったと言うことになる。
そんなわけでサトラレを見てきたですがえーとあれだほれもしかしてこの映画は拙者を泣かせ殺す気ですか?
最初のあたりはもう単純に「うわー西山入ってるー」とか「小松がっ!小松が西山以外の男とっ!」とか「うわわーこんな里見健一は里見健一じゃないっ里見健一を返せー!?」そんな感じにふんふん観てたんですがちょっとばかし婆ちゃんがちっちゃい部分でぐっときて、婆ちゃんの手術だともうぶわっと。涙をもろもろもろもろと。
こんな尻の熱さは久しぶりです。それこそブルーミングでブルマーピカドンが出せるぐらい。や、意味がわからなければそれでいいです。そのままのキミでいて。アッキハッバラ!
そんなわけで思いっきり泣いてきたわけですが、拙者の好みというのはやはり「燃える話」だよなーと改めて実感。
「好きなキャラが出てくるから萌える」とか、「巨大メカが出てくるから燃える」とかそういうもんでもなく、その「お話」が拙者を興奮させ感動させ揺り動かさせる作品、そういうものを求めている。
別に地球の危機を救うわけでもなく。
ヒロインの危機に6つの宝珠を集めることもなく。
もちろん一生懸命はやるけど、別に自らの生命を賭けるわけでもない。
そんなご大層なものを行為の天秤にかけることもなく、単純に「好きな人がいる」「「大事にしたい」「助けたい」たったそれだけの感情を「描く」。観ている者をその世界へ「引き込んで」「味わってもらう」。これだけのことさえしていれば、充分に面白い作品を作ることはできる。
世の中というか、歪んだオタク文化というか、ともかくここを観ている人の周りには多分たくさんの作品が並んでいて、そういうもののほとんどは作品を「ロボットが出てくる」とか「妹が可愛い」とか、「格闘モノ」とかそういう要素の集合体としか観ていなくて、それを使って「何を見せるのか」という部分においてはもの凄く未熟であると言わざるを得ない。
もちろん別にそういう要素だけの作品、というのもそれはそれなりに世界全体にはなくちゃいけないのかもしれない、何しろ拙者達は毎日高級料理店でフルコースを頼むわけにもいかない。
んでも、いくら作りやすいしラクだからってみんながみんな毎日毎日ファーストフードの安バーガーというものばかりを食うようになったら、やっぱりどんどん駄目になっていくだけなんではなかろーか。
「世の中には美味しいハンバーガーだってある」そういう人間もいるだろうけど、実はそれは大きな思い違い。「美味しいハンバーガーを考え出す」それに対する良い評価ってーのはただ単に安い材料の中で「それでも美味しい物を作ろうとした結果」が認められているだけなわけで、決して「出来合いのバンズや肉を載せただけの単純な味」に対する評価ではない。もちろん美味しいハンバーガーならそれなりに評価しなきゃいけないんだけども。
(ついでにちょっと限定してしまうが、たとえば「吸血鬼」というモノ自体はただの「使用する要素の選定」なだけであって、吸血鬼が出ているから面白くなるなどと勘違いしたままでいるつもりなら今すぐその作品を作るのをやめた方が良い。逆に言えば面白さなんてーものは結局のところ「その材料をどうやって料理するか」それだけにかかっている。さあここで質問だ。「あんたはその材料を使って何を描くつもりなんだね?」)
閑話休題。
で、サトラレなわけだがつまりはこれ、「感情が外部に声として出てしまう人間の話」というただの「要素」を持ってるだけのものだったりする。その要素自体が珍しいからってーことで周囲の人間の興味を引いたわけだが、なんのことはない、サトラレ映画の面白さというのはその要素自体ではなく、その要素を使って「いかに主人公と婆さんの交流を感動的に描いたか」だったりする。
心の中からわき上がる肉親への愛情という人には欠かせない感情をサトラレという珍しい要素で「活かす」、「その要素だからこそできる」作品だから面白いわけで、してなけりゃーただの「珍しい人の話」でしかない。
ふむ、好物とか珍しい材料で作られただけの料理を悪いとは言わないが、好物や珍しい材料で作った出来の良い料理はもっと美味い、それだけの話ってかこれ前にも書いた気がするが。
や、そーゆーわけで今日はええもんを観ました。
その1時間前に中古ゲーム屋で欲しいPSゲームが売り切れてることに憤慨したり18禁やらで安くて良いゲームがないか物色してたりキャプテン・ラヴを見つけて大喜びしてた自分さえいなけりゃ最高だったんだが。
フルメタル・パニック!9(賀東招二)
ストレイト・ジャケット2(榊一郎)
エンジェル・ハウリング2(秋田禎信)
火魅子伝6(舞阪洸)
MISTERジパング4(椎名高志)
研究会の後輩(女性)が「GEAR戦士電童を録画し忘れたー!」とか喚いていたので心優しい拙者はビデオを貸してあげることにしました。そんなことで喚く女性は人としてどうかという気もしますが心優しい拙者は黙っておきました。
ちなみに電童の後にはグラップラー刃牙を入れておきました。次に会うのが楽しみです。
さて今日の戦利品はファミ通文庫の「ルーンウルフは逃がさない!」と「機巧天使サンダルフォン」です。
あらすじを読んでみましょう。
……えーと。
すいませんこのルーンウルフとかいうの、どうやら星座魔字とかいうモノを集めて回っている主人公のお話っぽいですが、その手段は星座魔字がくっついてる女性がいないかどうか裸にして調べるらしいです。
どこのエルフを狩るモノなんでしょうか。
気を取り直してサンダフォンの方を読んでみましょう。
……えーと。
ある日いきなりメカ美少女が家にやってきた。
幼馴染みの眼鏡っ娘もいます。
メカ美少女の足の付け根には高感度のセンサーが付いていて、幼馴染みの眼鏡っ娘につつかれて顔を真っ赤にしながら身悶えしたり。
えーと。
機巧天使サンダルフォン(富永浩史)
ルーンウルフは逃がさない!(新井輝)
俺の名はバーサス!(小野寺浩二)
カトウナルミが年下だという事実に改めて愕然とする。
からくりサーカス17(藤田和日郎)
名探偵コナン32(青山剛晶)
実はいままでPCの効果音変更法を知りませんでした。
と、いうことで今日は適当にPCにあった音を使って効果音を変更してみる。
まずは起動音を変更。
「こらぁ目ぇ覚まさんかいこらぁ」
わお、びっくり。
ふむ、結構大きな声なんで、いつもだいたい寝ぼけながら起動する拙者にはぴったりです。
続いて終了音を設定。
「消えてゆくぅ」
消えるようです。いや、これは面白いですな、どんどん行きましょう。
「お手紙だぁわーいわーい」
(メール確認)
「おうちに帰るっ!!」
(特定アプリケーション終了)
「はいはいはじめるわよテキスト開いてー」「はぁ〜い」
(メッセンジャー通知)
「どきどきしましたぁ」
(警告音)
どうかとも思う。
でもメッセンジャーメンバーがオンラインになったときの効果音が
「にやーそんな恥ずかしいこと私にはできませぇん」
なのはさすがにやめようと思いました。
もう、テレホ突入時がえらいことに。
ノルマンディーひみつ倶楽部の最終回は非常にジャンプっぽい終わり方だと思いました良くも悪くも(挨拶)
そんなわけで最近はりりむキッスがやけに面白くて目が離せませんいったいどこに向かって突き進んでいくのでしょうかあの漫画は。
願わくばこのまま第一部完とかいって今度は新しいりりむとかを。
ところで拙者の脳味噌だとあの漫画はキャラの名前が覚えられないんですがなんとかなりませんでしょうかいやちょっと本気で。
さて毎週毎週ワンピース解析やってもしょうがないんで今回は見送り。今週はあそこでスナスナの弱点が分かっていよいよ勢力分布が確定したってことぐらいだし。
で、最近のというかここ数年かもしれないがジャンプってものすごい「ヒロイン不足」じゃないかなーとか思ったり。
いやいや、実はジャンプだけじゃなくて、サンデーやマガジンにも言えることなんでは。
えーと、これはやっぱりジャンプなどの少年漫画が、より少年性の重視をする傾向にあるってーことなんではないかと。
旧来の「女性」という要素を廃した結果、ジャンプに代表される少年漫画は「少年」の活躍を描くこと中心になったような。
んー、現在のジャンプでヒロインらしいヒロインってりりむぐらいしかいないんじゃなかろーか。他はアンナ以外全然活躍してないし。
ああ、徐倫は例外ね。ジョリーンは。
「マ」がはじめについてひとりでやるものっ!「マシンロボ?」
判らない人へ。キテレツ大百科です>昨日の歌
ワンピースの夢を見る。
と言っても夢の中でルヒーと一緒に都合のいい大冒険!とかそーゆー夢ではなく。
友人の買ってきたジャンプを見せてもらおうとひたすら
ワンピ−スだけでいいから!!
ワンピースだけでいいから!!
と頼み続ける夢。
もっと、こう、カッコイイ夢は見れないものかと。
あーと。
過去ってーのはどれぐらい大事なんかなーとか思ったり。
現在というのは過去によって成り立つから、絶対に無くてはならんもんなんだけど、その反面言ってみれば「もう終わったこと」でしかないんだよなーと。
でもやっぱり過去というのは過去なわけで。
引きずるのはかえって過去に失礼なんじゃないかなーとか思ったり。
まあ、過去に対しては「有り難う」と言うのが一番なんじゃないかなーとか。
いきなり飽きたけどめんどくさいのであのまんま。<殺人事件
今日もーいつーもの催眠術師
頭が重くなってきた
あらがーう精神はーあるのにー
頭がちっとも働かない!
あなたは だんーだん眠くなる
この腕 だんーだん重くなる
身体が どんーどん棒になる
関取 乗ーっても潰れない〜〜〜〜〜〜〜〜!!
ああスープはとっても冷たいのに
そこはお花畑じゃないのに
誰にーもー言えない秘密なのに
あなたのー 言葉にー 惑うのー
催眠 催眠 催眠 催眠 催眠術師
だからなんだと言われても困るが今日は催眠術について。
えーと、なんか催眠術ってーとなんというか目からびかーっ!とかポケモンバトルとかともかくそんな超能力感バリバリなわけですが実はそーではなく。
ではでは考えてみよう。「催眠術とはなんぞや?」
催眠術、ってーのは実は純粋な「技術」だったりするわけで。
暗く閉じた部屋で香を焚く。妙な仮装をする。神懸かった言動。ゆらめく炎。
それら全ての「要素」を使って人の心にスキマを開け、言葉を差し込んで思い通りに動かす。
暗く閉じた部屋は人を不安にさせ。
香の匂いは嗅覚を異界へと。
仮装することで動揺を誘い。
異様な言動は非常識を常識へと変える。
なんらかの超常現象とかそんなんではなく、相手を信じ込ませ、思い通りにコントロールするための「技術」、それこそが催眠「術」だったり。
逆に言えば。
全ての人間は催眠術を扱える、ということでもある。
相手の心のスキをつくための話術や、浮き足立たせるための演出。そーゆーものをきちんとこなして、「信じられるかもしれない」と思わせられれば案外簡単に相手の心なんて動かせるわけで。
で、さらに言うなら、日常会話だって、催眠術を使っているという云い方もできるわけです。
もちろんこの場合の「催眠術」は本来のソレじゃないけど、「演出や話術で相手のスキを突く」こと、つまり「お話をする際の駆け引き」なんてーものは誰でもやってるわけで、極端な話、きちんとした敬語だって「相手に誠意を伝えるための技術」を使ってる。
というかむしろ、会話をした時点で駆け引きの枠に入っているとすら言えるんじゃーないかってこと。
さてさて、つまりは人類がみんな「催眠術師」であるってー云い方もできるわけだ。
自分はいったいどんな「術」を用いてるのか。
自分自身が「常識」って暗示にかかってる場合もあるし、自分の術に気付かず「俺はそんな人間じゃない」とか思いこんでる場合もあるし。
もうちょっと自覚せんといかんよなーとか。
幸せだとしたら結局のところこの世には不幸しか存在しなくて人はどうにかして出会う不幸を少なくしていたいのじゃないのかしらん。いや自分でも何言ってんだかよくわからんが。
さて今日も15日の朝に思い出しながら書いているのでネタがありませんがそういえばこんな話を聞いただかしたんだかともかく火曜サスペンス劇場ってありますよねそうそうそうそうあの家政婦は見たとか美人女将の推理が冴え渡るとか実際には全然美人じゃないとかそういうのは置いといてともかくそういうやつですがああいうやつのタイトルには一定の法則があって人気シリーズとかでない場合には内容よりもタイトルである程度の視聴率の増減があるんだとかまあ途中でつまんなくなりゃそりゃチャンネル変えるんだろうがともかく新聞とかで目を引くタイトルとかいうのが存在していて火曜サスペンスの制作側としてはいかにしてチャンネルを合わせてもらうかがそれにかかっているわけで。
そんなわけで今日からこのサイトは
いい加減にしてください泥皇さん殺人事件
〜家政婦は見た!京都OL三人娘混浴温泉グルメ紀行〜
にします。飽きるまで。すぐ飽きそうだ。
あー、人のなんらかの行動にはやはりある程度のルールというものがあったり。
まあ正確にはルールってよりも自分縛り、ただのこだわりなわけだが。
たとえば拙者の鬼術では、基本的に人のHPを紹介するときに「流行を追わない」「紹介だけで留めない」ってのがある。
流行を追って、それを紹介するだけでは「そのHPを」見る必要はないんじゃないかなーとかあくまで自分のHP内でやりたいとかそんなことを考えてみたりというかごめんこの日に何が起こったのか全然覚えてませんのでお茶を濁してみました吐血。
あーそうそうあったあった死すたーぷりんせすが。
とりあえずアニメ業界の人はこれをしっかりと見ておくべきだと思いました。
この愚行を、シスプリで終わらせるように。
ええと、ところで結局12人の妹とかいうのはどういうことなの?(混乱)
財産目当てのニセ妹ってことなの?
とか思ったんだが。
まあ主要登場人物のほとんどが腹違いの兄弟である聖闘士聖矢よりはマシだと思いますか?(疑問形)
写真で一言。
「くらえニンニクアタック」
特に意味はありません。
某所でチャット。読みやすくちょっと編集。
「Q:泥皇さんは、本当にベガさんが好きなんですねェ・・・・・・・・ベガさんって胸キュン?」
A:胸キュンです
「Q:チョッパーとだと、どっちが胸キュン?」
A:拙者を殺す気か
「Q:死ぬんですか!?(笑)」
Q:空気と血液、いきなりなくなるとしたらどっち?
「A:・・・どっちもかけがえの無いものなんですね(笑)
」
どうやら納得してくれたようでよかったよかった。
今日のやソだま
アニメ化最新情報!!
なんですかこのまじかるにゃんにゃん魔法少女ネコたるとというのは。
アニメ化申し出た人出てきなさい。
でもある意味とても面白そうだと思ったそんな拙者にG3殿の言葉を借りて。
バーカ、俺のバーカ。(;´д`)ノ
テレビ東京系で「コメットさん」てのをやっております。
拙者も詳しくは知らんが、どうやら昔に実写版でやってたホームドラマのアニメ化リメイクとかなんとか。
まあゲゲゲの鬼太郎第三部とか第四部とかそんな感じですな。
お話としましては「他の星からやってきたコメットさんが居候先でいろんな事件を!」そんな感じで。
出来としてはそこそこちゃんと作ってあるぶん、特に目新しいものもなく、可もなく不可もなくまあそこそこのアニメ。
まあそれはそれとして、これはいわゆる魔法少女モノなわけですが魔法パワーの名前がほしぢからなのはどうにかならなかったのでしょうか。
いくらコメットさんだからって、ライバル魔女っ娘の名前がメテオさんはないだろうと思ったり。
でもやはりここのサイトで紹介されてる第二部コメットさんの方が面白そうです。留置所や病院に入れられてるあたり。
どうでもいいことですが拙者は駆け引き上手なんかじゃありませんよー。
たかがあの程度で 買いかぶりすぎです。
さて、今日も今日とてジャンプの話です。
既にジャンプを読んで、しかもここをよく読んでおられる方々ならこういう発言が出ることは予想通りでしょうなあ。
チョッパーピンズっ!?(鼻血)
……と言いたいところだが。
なんだかなーという気分。
ふむ、拙者が好きなのはチョッパーの心意気であって、実際の話、そーゆー「商品」を出されてもチョッパーの心意気はどこにもないわけで。
まあ「可愛いから」「300円で」買うかもしれない程度。微妙微妙。
それはともかく本編です。
えーとこれを予想できなかったのはいったいどーゆーことかと言いますと、結局のところ「主人公がルヒーだから」ってーことでしょうかね。
拙者や複数の人にとってのルヒーってのは、それこそ「最後の調停者」とか、「いろんな問題をまとめて吹っ飛ばしてくれる役」なわけですな。
そーゆー役割としてのルヒーだという先入観があるから、まず考えてしまうのは「どうやってルヒーとクロコダイルが分離するか」であって、ごくごく普通の主人公的展開「負ける」ってー選択肢を考えつかなかった、と。
今までのワンピースからすっかり誤解してましたが、ルヒーはやっぱり主人公で1キャラで。「負ける」こともあるんだなーとか思ってみたり。
そんなわけで今回の結果は
主人公の負け=「グランドライン」のレベルと、「ルヒーの絶対性」の否定。
能力の手段=「能力者」内でさらにランクがあることを強調。
クロコダイル先行=位置関係の変更。
こんな感じ。
えー、まずは主人公が「負ける」という事実。つまりは「挫折」。今までの「成功」を否定するかのように挫折を突きつけて、今後の「復活」に繋がるわけで。
っていうか普通の漫画でいうなら、「とっくに一度目の挫折をしててもおかしくない」んですなー。むしろ「今までずっと挫折しなかった」ことの方が驚き。
まあ逆に言えば、それだけ今回の挫折が衝撃的で、尾田っち大成功。
んで、次がクロコダイルの「能力だけじゃなく、使い方と訓練」ってー部分のセリフ。えーとこれは予想だけど、クロコダイルはこのあと「水をぶっかけられるなりなんなりで砂の能力半減」ってー状態になるんではないかと。
半減だけど、「まだ強い」そのための「能力の使い方」ではないかなーとか。濡れて固い砂だって充分強そうですわい。
あと拙者はそこまで考えが回りませんでしたが、「ルヒーがもっと強くなる」ための伏線って考え方もできるようです。
いわゆるジャンプ的な「さらなる力」ではなく、あくまで「より強くなる方法」としての「効果的なゴムゴムの使い方」とか。
ここら辺はどうなるにせよ、クロコダイル決戦時までオアズケな伏線っぽいですな。
んで最後が現在の状態。これはそのまんま「クロコダイルがルヒーチームを追いかけていく」図式になったってーことで。「さらにそれを追うルヒー」もあとで加わるんで、そのあたりをどうやってまとめるか。
さてさて、今回はなんていうかまた1ターン終了とかそんな感じ。
でも重要なのはやっぱりターン終了後に「どれだけ次のターンのためのカードを配置できるか」ってー部分なんだよなーとか。尾田っちデッキってーもんはその点でメチャクチャコンボを待ち構えている超編み込み型デッキだと言えるですなー。
……あー、なんでここまで詰め込めるんだか。
秘密屋赤(清涼院流水)
秘密屋白(清涼院流水)
おじゃる丸の声優変更にはどうしても不快感をあらわにせざるを得ない今日この頃。
まあすでに声優のヘタウマ以前に「おじゃる丸の声」として認識されているものが変更されてしまったことに対する拒絶なんだろーけど。
さて、サマータイムってものがある。まー簡単に言うと「時刻をちょっと変えたことにして、空いてるはずの時間を有効に使っちゃったり日が出る時間にあわせて活動して電気代節約」制度なわけだが。
でもこれ、考えてみたら結構恐ろしいことだよなーとか。
なんせ、今まで「18時」だと思っていたはずの時間が急に「はい、明日からこの時間は20時になりますよー」とか言っていきなり変わってしまうわけだ。
今まで自分達が過ごしてきた時計の動きがそーゆー政策ひとつで容易に変わっちゃうってー事実に軽い恐怖感があったり。
いや、まあもともと「時刻」って考え方自体、古くは太陽の動きで、現代は原子の固有振動数でって差こそあれ「何かの大きなよりどころ」をもとに設定されてるだけで、別に「時」そのものが「はいはーい今の俺は何時何分という存在になっていますよー」とか言ってるわけじゃーないんだから、「時刻」を「絶対に変わらない存在」として考えること自体間違ってるよなーとか。
や、まあいつの世も流れる時を「区切る」のは人間だってー話。
ま、それはそうと日本橋ヨヲコの「BASHISM」また読み返し。
感情に刺激を与えるための心意気。
んで、ちょいっと掲示板に出てきたんですが、「ジャングルはいつもハレのちグゥ」、アニメから入って原作を読んでも楽しめなかったという報告が。
えーともうちょっと情報が欲しいけどやはり初期ハレグゥの作りからして「びっくり箱」的になっているのが問題な気がします。
さて、一度フタの開いたびっくり箱を楽しめるのか?ってーことですかな。 もちろんびっくり箱のデザインを楽しむ人もいるだろーが、それはびっくりすることを楽しんでるわけじゃーない、そんな感じ。
天国に涙はいらない2(佐藤ケイ)
若草野球部狂想曲3(一色銀河)
星くず英雄伝9(新木伸)
夢界異邦人2(水落晴美)
僕にお月様を見せないで3(阿智太郎)
4日の鬼術を書いたところチョッパーコスの女性の写真を送ってくれた方がおります。この場を借りてお礼を述べたいと思います有り難うございました鼻血。
いやー吹いた吹いた(←なにをだ)
あんまり萌えすぎて拙者、女性の顔を確認するのをすっかり忘れていました(実話)
いや、そのあとちゃんと確認しましたよ?
なかなか可愛かったので、冬コミでチョッパーのコスプレに心当たりのある方はこちらに連絡を!!
いや本当に連絡したところで何も出ませんが。
ところでそれを聞いた提供者さん、こんなことをのたまってくれました。
「(意訳)泥皇さん、ふわふわもこもこなところとツノしか見えてないんですかい(><)」
失敬な!!
きちんと×付き帽子も見ていますっ!!
さて。
今日は日本橋ヨヲコの「BASHISM」を読んで震えてみたり。
こういうの読んで面白くない人はもしかしてとても可哀想なんじゃないのかなあとか。
富士見ファンタジアのエンジェルハウリングに出てくる主人公の名前はフリウ・ハリスコーなんだがこれをうにゅう・ハリスコーなどと置き換えてみると途端にわけがわからなくなります。えんいー。
さて。今日は溜まったアニメなんぞを見てみたりというか一応新番組チェックも。
まずは「ジャングルはいつもハレのちグゥ」
えーと……正直な話、全然笑えなくてあれぇ?とか思ったわけで。
ふむ、拙者の場合原作から入ったわけだが、原作と比べて出来はどうか、というと別段悪いところは見当たらないがしかし拙者にとっては面白くない。こりゃーいったいどういうことなんだろーかねーと。
で、ちょっと考えてみたわけだが結局の所、「アニメ媒体でもう一度やる意味がないから」なんじゃないだろーかなーと思ってみたり。
えー、原作を最初から読んでる人なら判ると思うが、当初のハレグゥのキモというのは「今までにないほど突拍子もないグゥのキャラクター」だったわけだ。
その謎の女の子が想像もつかないことをやってくれ、それを読者がギャグとして受け止める、こーゆー図式ができてた。
んでそれを予備知識として楽しむようになって、現在のハレグゥのギャグは「いかにグゥがグゥらしくやってくれるか」に移っている。つまり、今までは「どんなことをしてくれるかワクワク」だったのが、それを軸として楽しむ方式、つまりグゥがいつものようにいつものことをやるという「ドリフ的な」漫画になっていったわけで。
んで、今回のアニメ化になったわけだが、やってることというのは(まあ当たり前なんだが)原作1話目の「再現」でしかないわけだ。
さて、こう考えてみよう。「既にドリフ的な漫画になっている漫画の『驚かせることを目的とした話』を2度見た人間が、驚き、そして楽しむことができるのか?」
ちょっとこのあたり、あれを面白いと思った人の意見を聞きたいなと思ったり。
んで、次は「スターオーシャンEX」とかいうもの。
……えーと。
これを見て、登場キャラのビジュアル面「以外」を褒められるファンは出てきてください。一度じっくりお話する必要がありそうです、あなたのためにも。
何がやりたかったのかすら判らなかったので何も言わないでおく。
で、今日の「グラディオン」。
なんというか、非常に「もったいない」作品の典型ですなこれ。
設定がグリッドマンとかなんとか、まあ使い古された「電脳世界で大活躍」に、勇者シリーズもしくは旧型トランスフォーマーのバタ臭さというかロボロボ感の組み合わせ、これ自体は結構上手そうな試みだと思うわけですが、いかんせんそれを「面白く見せる」ための技術が徹底的にかけています。
んー、具体的にいうなら戦闘シーンの描写。窓枠を使って「主人公がロボの中にいる」のを表現するのは良いんですが、全編そのちっちゃい画面で行うために主人公の苦悶する顔に全然迫力がなかったり。
っていうかロボCGがジェイデッカーのアイキャッチレベルというのはどうかなあとか。
このまんまだとロボが出てくるコレクターユ(削除)
日本橋ヨヲコ短編集(日本橋ヨヲコ)
恋愛ディストーション(犬上すくね)
ドラクエモンスターズ2の技の中に「メドローア」とか「大地斬」とかが出てくるらしいので急激に欲しくなる。アバンせんせぇ!!
「どっ
”怒髪”の稔二…!!」
いいなあこういうノリ。
そんなわけで秋田書店チャンピオンコミックス「ななか6/17」を購入。
どうですか皆さんも。
「堅物眼鏡っ娘、霧里七華17歳はひょんなことから精神年齢6歳の女の子になっちゃった!」
ですよ!!
「幼馴染みの喧嘩がめっぽう強い男のコ」とか「その男のコに惚れてるちょっと意地悪だけど根は優しい女の子」とか出てきますよ!!
主人公お気に入りのアニメは「まじかるドミ子」ですよ!!
「女を返して欲しけりゃあ黒高裏の河原まで来い!稔二!!」とかそんなセリフがばんばん出てきますよ!!
んー、総評としては「なんだこりゃーと思わせておいて後からじわじわと来る漫画」なのかなあ。
しかしどうして八神健はこうも「古くさい」漫画ばっかり描くんだろーか(むしろ褒め言葉)
ふむ、でも実際の話、「古くさい」割にお話としての作りは結構上手くできてたりして、八神健がチャンピオンという雑誌にどこまで「はわわわ〜っ娘萌え」旋風を吹かせられるか非常に楽しみな一品です。きっと「しゅーまっは」の「まは」が後押しして「でじこ」でとどめ。秋田書店が大きく変わることでしょういろんな意味で。
ともかく、まだ読んでない人は今すぐ読みましょう。同じ雑誌にグラップラーバキとかが載っているという事実に愕然とするはず。
ななか6/17 1(八神健)
ワンピースを買う。18巻は拙者の中で「コマの隅にいつもチョッパーを」というサブタイトルに決定です。いや隅じゃなく全編チョッパー尽くしでも全然構いませんが。
そんなわけで現在チョッパーに悶え苦しんでおり頭の中はチョッパー一色、今の拙者ならば鹿角少女になら「萌え」られるかと。ああんチョッパー!!(←泥皇さんそれ間違ってる上に少女に萌えてるわけじゃなさそうです)
ところで18巻の35ページで既に、2日の鬼術で語った「役割」について触れてますね。なんつーかさすが尾田っち。
鼻が曲がりそうだ(鼻を押さえながら)
さて。
ちょいと先日のアギトについて補足。
えーとこのエピソードで魅せたいものは、「氷川さんの本当の強さ=精神的な強さ」なわけです。
そのための材料として持ち出されたのが「北条さん」という存在。
「市民を守るためにG3の力を借りて戦う」氷川さん
「敵を倒してイイ気になるためG3の力に頼る」北条さん
この対比によって氷川さんの精神的な強さを浮き彫りにする、と。
んで、それをより強く見せる演出方法として、「北条と氷川、本来は同程度の戦闘力なのに、北条がG3を使うことによってあっさり怪人撃破」で「北条の方が強そう」に見せておき、それを次の回で「でも精神的な力が弱いとカスである」ことを強調、最後に氷川が生身で戦う部分で「G3の力に頼るのではなく、自分本来の力にG3をプラスして戦おうとする氷川の強さ」を描く。こういう手順を使ったわけですな。
まあそれが上手くいったかどうかってのは先日の鬼術で語ったので以下略、そんなところ。
えーと今日はチャット中にシスタープリンセスアニメ版の放映時間になったため、チャットしながら見てみることにしました。
「うーむ、ドキドキだなー」
半分恐怖という意味で。
「お、はじまったはじまった……」
そして
「マルチっ!?」
「あかりっ!?」
どうやら拙者が見ていたのはこみっくパーティーだったらしい。
ONE PIECE18(尾田栄一郎)
藤崎竜短編集2(藤崎竜)
アイスを食う。貧乏性なので1.5Lのれでぃーぼーでんアイスです。
んでこんだけアイスがあるとただ食うだけってのも芸がないというわけでいろいろやってみたりしてその中でも特にオススメなのが牛乳を少し入れてかき混ぜる方法でこのバニラシェイクのような深い味わいがなんとも言えず美味いわけで。
まあそんな風にアイスを楽しんでいた泥皇さん、今日は牛乳を切らしていたことに気が付きました。
「おやおやどうしよう。ははあ、そうだあれをつかおう」
そこで取り出したのがヨーグルト。ジャスコで500ml118円で売っていた品です。
「コレを使えば甘酸っぱいヨーグルトアイスが出来るに違いないぞ、わくわく」
さっそくヨーグルトを適当にぶっかけ、スプーンでアイスとぐっちゃぐっちゃかき混ぜはじめました。なんだかあっさりと美味しそうです。
「いっただっきまーす」
マズ酸っぱかった。
さて。
えーと、人間が持つ愛情の一つに「保護欲」ってもんがあるわけで。
犬や猫の子供が可愛いのは保護欲を掻きたてさせるためってのと同様、人間相手にでも弱い者、小さい者に対して「保護したくなる」感情と言うものが存在するわけで。
それを上手く取り扱ったのがシスタープリンセス。
日々の生活や家庭環境これまでに見たアニメや小説やドラマや現実や妄想などで培ってきた「保護したい可愛さ」を刺激するシチュエーションを、人(特に男性)が生活する上で一番身近な被保護的存在「いもうと」(もちろん家族に妹がいれば、の話だが、妹という概念が社会的に「保護されるものである」という認識を受けているわけだな)を題材に気が狂うほど並べ立てた結果、気が触れてるようなムーヴメントを起こしたってーのはその手の世界では有名な話。
まあそこにあるのは対象者の思考を「数撃ちゃ当たる」理論で萌やし並べただけの「シチュエーション劇場」であるってーのは否めないが、それを「開き直って」並べまくったのが功を奏したというのでしょうか、大人気になったわけで。
そんなある日、「ハマった」方が拙者に「泥皇さんにぴったり」とでも言うかのように情報をくれたのがこれです。
えーとどれどれ……ママゲー?あらすじ↓
初夏――
爽やかな風に混ざってもう夏本番の気配が見え始める、
そんな季節に、俺は「師走町」に帰ってきた。
今日から、この町で1人暮らしが始まる。
何かいいことありそうな、
そんなほのかな期待を胸に、 俺は……10数年ぶりの我が家のドアを開けた。
ガチャリ
「おかえりなさい」
だ、だ、誰だ、この美女は……!?
「うふふ、ご飯にする? それともお風呂にする?」
これは……夢なんだろうか?
「うふっ! ね、私たちが……今日からあなたのママですよ!」
彼女たちが、俺のママ……?
やっぱり……夢だよな?
……えーと。「保護欲」と対照的に存在する感情に「依存」というものがあります。
保護欲が「保護したい」という、保護することによる自己満足と直結した感情であるならば、依存は逆に「人に甘える」という充足感を味わうための感情であると言えますね、つまりはこれ、どーやら「甘えさせてくれる」類のゲームっぽいです。むう、そーきましたか。
とはいえ、ちょっと存在意義としてはどうかなーとか思ったり。この手のゲームというか感覚として、エンディングはどう考えても「ママから恋人へ」というパターンなのは目に見えており、その「依存度」を維持できるのかどうか。
ずっと「ママ」相手への依存を楽しむには下手にそのキャラが自分に「寄りかかってくる」というのは依存を楽しめないはずだし、かといってずっと依存だけして「そんなわけでママは本当に戸籍上の母親になってしまいました」などというのもユーザーは求めていないのではないでしょうか。
……とここまで考えてみたがユーザーが単に「甘えさせてくれる都合のいい女」を求めているだけなら全然問題ないことに気付きました(爽)
というかそもそも未亡人どころか人妻ですらないだろこれはっ!!おまけになんだこのふくよかさのカケラもないスレンダーな外見はっ!!「艶」を知らんのか「艶」をっ!!拙者をなめとるのかねキミはっ!!いいかね拙者は別に未亡人や人妻という要素そのものを好きなわけではなく美しい未亡人や人妻に多く含まれる「艶」「ある種の気怠さ」「ほどよい疲労感を含む憂い」等のエッセンスが好きだからまとめて言っているだけであって決して人妻であればいいというわけではないんだぞっ?そこのところをきちんと踏まえてから拙者に見せねばならんということがわからんのかっ!!わかったかっ!?なら帰って良しっ!!おつかれっ!!
今度はちゃんと未亡人が沢山出てくるゲームとかを紹介するように。
「アルバーナ」で!!!
待ってるから!!!!
あー、もう拙者を焼死させる気でしょうかワンピース。
最初の4ページほどでついついページをめくってしまうほどのスピード感というか加速感はさすがですなー。
ルヒーを信頼してるからこそ出るゾロの畳みかけるような覚悟と言葉。そしてそれを受け止めたビビの↑セリフ。
「今週の」メインこそ後半のバトルシーンにありますが、「お話」として大事なのはむしろこの4ページでしょうなー。
えー、解説。アラバスタ編重要キーワードに、「役割」ってーもんがあるですよ。
・ルフィーがここでクロコダイルを足止めする。
(いや、ルヒーはおばかさんなので倒す気満々でしょうが)
・ルヒーチームがルヒーを置いて先に進む。
さて、前週最後でビビが掴まれたとき普通のひとがルヒーの立場だったらまずこう思うはず、「ビビを助けてみんなでアルバーナへ行かないと!」。これが普通の反応ですし、普通の人がルヒーチームの立場でも「落ちたルヒーを拾ってアルバーナへ行かないと!」と思ってしまうわけですね。
しかし、ルヒーはそこで「自分はクロコダイルを足止めする」ことにしたわけで。
そして、ルヒー一行はその意志を受けて「ルヒーに任せて先にアルバーナへ」行くことにしたわけで。
つまり、ルヒーもルヒーチームも、「仲間と一緒になる」ことではなく自分の「役割を全うする」ことにしたわけですよ。
もちろんみんなウソップのように「合流したい」と感じることはあったでしょうがこの場合の合流したいという思いは単なる「感情」言ってしまえばただの依存に近いわけですな。合流したいと思うのはしょうがないけど合流することで状況を打破できるようにはならない。
そこで、ルヒーはルヒーで「自分一人で足止めする」という行動に出たわけですが、そこにはきちんと「仲間にアルバーナのことを任せて」という言葉がくっつくわけですな。
同様にルヒーチームも「ルヒーが足止めをしてくれる」から「先にアルバーナへ行く」ことにしたわけで。ここら辺の「信頼」をきちんと踏まえてないとできることじゃーない。
「役割を任せる」「役割を全うする」その両者が揃うからこんなかっちょええ行動ができる、と。
と、ここまでは感情のお話ですが、その「信頼関係」を上手く表現しておかないと「ストーリーまんが」は燃えられないわけで、その点はさすが尾田っちといったところでしょうか。
通常のえーとたとえば劣化の炎とかRAVEとかつまんない漫画だと、このあたりは勝手に出てきたかっこいい味方キャラが「ここは俺に任せてお前は先に行け……」とかフカして主人公がいきなり「サンキュー!」とか言いながらあっさり「信頼」しちゃうために、全然「信頼してる」感が出てこないわけですが。
それに対抗して、信頼してる感をきっちりと描いているのがワンピース。
ルヒーが「笑いかける」描写は仲間への信頼そのものだし、ウソップ&ビビが「置いていって良いのか」という感情を見せてからゾロ&ナミ&サンジが「あいつなら大丈夫なので自分に出来ることをしなさい」と諭すことで「目先の感情よりも、信じて進むことを選ぶ=信じているから先に行ける」と強調。ビビがそれに「応えて」最初の「待ってるから」セリフとなるわけで。
(このあたり、読者の心情も考えた流れになってると思います。「ええっ、ルフィー残っちゃうの!?」という感情をウソップ&ビビが代弁し、それに対してゾロナミサンジが「信頼しているから任せるのだよ」と説明、ビビが最後に「なら先に待ってる」と叫ぶことで読者にも擬似的なルヒーとの信頼関係を味わってもらってるんではないかなーと)
それにしてもゾロさん、瞬時にルヒーの意を組んで先に行くとは。アッツイオットコマエな友情関係じゃのう。
4ページで一気に「そっちは任せた!」「オマエもな!」を描ききったわけですが、後半はむしろ「敵の強大さ」と「それでも諦めないルヒー」をぎっちりと描いて、次週へヒキ。
もちろんここでクロコダイルVSルヒーの決着がつくとも思えないわけで、「どうやってルヒーが離脱するか」がカギになってくる以上、ここもやっぱり重要なポイント。
あー、上手いヒキ方じゃのうコンチクショウー。
そんなことをマジメに考えたあと、とあるゲ−ム紹介を見てこんな妄想が。
「祭じゃー!」
「皆の者、世は災いに満ちておる!!今こそ祭の準備じゃー!!」
「祭れ!豊穣を!!」
「そうだ今こそ祭じゃー!!」
「祭じゃ祭じゃ!!」
「おぱーい祭じゃー!!」
「おぱーい!おぱーい!」
どうかと思う。(拙者の頭とか)
つきませんでした。
あっなんですかその不満そうな目は!!
拙者がエイプルフールに毎回毎回大嘘をつくと思ったら大間違いですよ?
たかが一日ぐらいつかなくたって 拙者はもう清廉潔白に生きようかなとも思ってるんですよ? いや思ってるだけですが。 ともかく拙者、 少なくとも 今日はつきませんでしたよ?
あー、ちょいとニュースを見て思ったんだがデモ行進とかやってる人はどうしてあんなに楽しそうなんでしょうねー。
特にプラカードとか作ってるときのあの嬉しそうな顔はどういうことだ。
さて、今日はアギト。
相変わらず「ライダー」という部分を見せるためのお話というよりは勝手に出てくる怪物を倒すための「手段」としてライダー的力を出しているようなそんなつくり。
んー、なんというか「現実の世界にライダーや怪人が出てくる」ではなくて、「ライダーや怪人が出る世界があったとしたら?」という方向を見せようとしているというか。
まあそれはともかく主人公、浮きすぎ。
やはり警察に取り調べを受けてカツ丼を美味そうに食ったり店名を尋ねるとかの豪胆ぶりはどうかなあと思ったいや別にいいんだけど。
それはそうと今日の見どころはやはり怪人との対戦中、いきなりケツまくって逃げ出した北条さんですな。
このエリートの逃亡により、氷川さんのG3装着者復帰ってー展開になることはわかるんですが、前回あれだけいきなり活躍しておいて今回いきなり敵前逃亡、ちょいと不自然な感じ。
さて、展開をもう一度おさらい。
1・G3装着者の氷川、弱い。
2・それに対抗してエリートの北条が出る。
3・北条さん大活躍。圧倒的力で怪人倒す。
4・再び怪人登場。
5・今度は北条さん大苦戦。敵前逃亡までして情けなさ披露。
6・次週、氷川さん大奮起。G3装着者の座奪還。
と、こうなるわけだが。
えーとつまりはこのお話、対比での「氷川の本当の強さ」を見せたいわけだな。最初に「弱そうな氷川」を出しておき、その後に「強そうな北条」を出す。そうすることで「北条の方が氷川より強い」と言うイメージを与えておき、その後で北条の強さが「もろい強さ=弱い」であることを見せ、次週で「本当の氷川の実力は北条のそれを上回る」ことを見せる。
弱い氷川(強さ5)
それを上回る北条の強さ(強さ10)
北条、敵前逃亡(10の強さが仮のものであると見せる。「10の力もたいしたことはない」もしくは「一時的に10になっただけの本来は2の力」であることが判明)
氷川、活躍(視聴者には「北条の10よりも役に立つ強さ5」もしくは「実は10より強い15」と思われる)
こんな感じか。つまり、3で北条の力が強ければ強いほど、そして5で氷川さんが弱ければ弱いほど6の「氷川さんが強い」という事実が光って見えるわけだ。
ただし。
今回のエピソードでは少々失敗気味。3での効果はむしろ「弱い怪人」に集中してしまい北条の強さそのものはあまり出ていないし、3での効果が弱い以上、5での北条の弱さはただの「嫌味ったらしい北条さん自身の弱さ」にしか映らないわけだ。
。
んー、これはやはりお話の構成の仕方に問題があるんではなかろーか。
「123」で一話分、「45」で一話分、「6」で一話分の作りになってるわけだが、これだと「強い北条」「実は弱かった北条」だけが浮き彫りになってしまい、氷川の出番は3話目のみ。つまり肝心の「氷川の強さ」との対比ができなくなってしまうわけだ。
最終的に氷川を強く見せるためにはやはり「北条が弱い」ということを見せた週の内に「氷川は強い」という部分を見せておかないと駄目なんではないかなーとか。
やるとしたら、1話目ではむしろ「氷川の弱さ」を徹底的に見せ、ラストは怪人を「倒した」部分で締め。2話目ではむしろ「怪人の強さ」をみせたところで締めておき、ヒキを「どうなる北条?」って感じで次週回し。そうしておいてから3話目でその状況に対して「逃げる北条」「立ち向かう氷川」の両方を描くべきではなかったのかなーと。
どっちにしろ今回はちょいと謎の老け赤ちゃん(違う)とかの話とかも混ざってて、ちょっとこんがらがってる気が。
もうちょっと見せ方を上手くして欲しいってところでしょうか。
というかアギトって主人公なの?(素朴な疑問)
タイムマシンで過去に戻るというわけではない